ほんの小さな偶然が二人を出会わせた。









「つまり」
 細い喉が大きく息を吸い込む。
「時間軸の分岐から生み出された、無数の可能性の世界があるとしてだ。貴様らの世界が行おうとしている時間への干渉が生み出しているのは、安定している時間軸をわざとぶれさせて別の分岐を辿った世界へと繋ごうとしている行為に過ぎない。その際に生じるのは時間軸自体の不安定化と、他の時間軸への限定的な接触になるだろうな。貴様と俺とがこうやって出会ったように、重なる要素がある場合、特定の状況をクリアすれば重なり合うということだ」
「す、すまないが……もう少しわかりやすく話してもらえると有り難いのだが」
「…………つまりだな、貴様らの世界の別な大陸で過去にさかのぼって今を変えようとしている奴がいる。その影響がここまで来ているということだ」
 まだ目がしばしばするのか、それとも眠たいのか。
 目をこすりながら一気に説明を終えたガダラルが小さな欠伸を漏らす。少年らしい華奢な体と、幼い顔立ちに不似合いな強い将の眼差し。目のまわりはまだ赤いが、火照っていた頬は冷たい風に急速に冷やされ逆に青ざめ始めている。
 子供は血色のいい顔で遊び回っていればいい、そう彼に言えば怒り出すだろうが。体をごてごてと覆う重苦しい鎧は、闊達な雰囲気を持ち備える少年には似合わない代物だった。






 『向こうの世界』の小さな炎蛇と、






 盛大な音を立てはするが、その実全く痛くはないのだ。
 叩かれた人間よりも、周囲で書類の整理をしている人間達の方が顔をしかめている有様である。周囲を睥睨するガダラルに睨まれ顔を書類に戻しているが、胸の内はルガジーンへの同情でいっぱいなのだろう。
 丸めた羊皮紙でわざと音が出るように叩かれて、痛いわけないのに。
「この愚図! そこはこの間教えたばかりだろうが! こんな基本的な補給の割り振りもできないのなら、天蛇将なんてご大層な役職辞めちまえ!」
「次からは気をつけるよ。いつも君に確認してもらっているから私の仕事はまわっているんだ、ありがとう」
「そう思うなら、俺とザザーグをこれ以上貴様の『勉強』に付き合わせるな。俺はともかくザザーグの仕事が何倍になってると思ってる……」
 ぶちぶちと文句を言うふりをしてはいるが、ルガジーンの作った穴だらけの書類を手早く修正しながら、間違えやすい個所に書き込みまでしてくれている。自分の仕事だって増えているだろうに、わざと文句を言いながらルガジーンに付き合ってくれる彼の見せないようにする優しさに何度救われただろうか。
「おい、聞いてるのか!?」
「ああ、聞いているよ」
 気づかれないように横に目線をやれば、赤い鎧から除く綺麗な色の肌が。
 この肌に触れ、一晩過ごすことができるならどれだけ幸せだろうか。彼が自分だけを見つめ、愛の言葉を囁いてくれるのならば、いつ死んでも構わない。
 そう思いはするのだが。
「ここも間違ってるぞ! 貴様の脳味噌には灰と藁しか詰まってないのか?」
「………………」
 この状況でこの思いを伝えるのは、自殺行為だろう。






『こちらの世界』の新米天蛇将。






「ガダラル……いくらお忍びでもその格好はどうかと思うのだが…………」
「こうでもしないとナジュリスの奴が外に出してくれない」
 面倒だがな、と言いながら深い青のリボンが編み込まれた髪を軽く直すガダラル。
 パニエか何かでわざわざ膨らませたのだろう、ボリュームのある赤みがかった濃茶のスカートと同色の上着。リボンのついた黒いボレロが肩の出ている上着を覆い、体を動かす度に浮き出た鎖骨のラインを覗かせる。コルセットも着けさせられているのではと疑いたくなるほど細い腰と、体のラインは見せる癖に肝心なところはがっちり隠す、ある意味確信犯的なコーディネートは賞賛に値した。
 ほんのりと薄く紅を引いた唇も、サイドのラインだけ綺麗に編み込まれ後ろは流したままになっている髪型も。元々の顔立ちと相まって、どこの貴族の令嬢かと思うほどの完成度に仕上がっているが。
「君は一応男の子なんだから……その……そういう格好はあまりしない方が……」
「この格好なら俺が炎蛇将だとばれないからな、遊びに行くとき便利だ」
「確かに便利かもしれないが……」
 この年で女装癖になられても、とつい考えてしまう。
 多分本人としてはナジュリスの希望を叶えるのと、誰にも気がつかれずに街を歩き回りたいという希望が一致しているのでこういう格好をしているだけなのだろうが。見ている方は気が気ではない。
 それにしてもあっちのナジュリスは、随分と少女趣味らしい。
「それはナジュリスの昔の服なのだろう、随分と愛らしい服だ」
「………………弟のために買ったらしい…………」
 たっぷりとした沈黙の後、二人の口から同時にため息がこぼれた。






 偶然から始まった小さな絆は、






 久々に出会えた彼が最初にしたことは、自分の顔をまじまじと見ることだった。
「その顔はどうした? 蛮族どもに殴られでもしたか?」
「こちらの君に殴られた、見事すぎる一撃だったよ」
 左頬にくっきりと刻み込まれた青黒い痣。
 見栄えの問題もあるのでことある事に冷やしてはいるのだが、炎蛇将渾身の一撃は中々自分の顔から消えることはなかった。
 自分の罪を見続けろとでも言うかのように。
「ろくでもない事情みたいだな」
 そう言いながらまあ座れと言いたげに顎をしゃくる姿には、徐々に将としての風格が出始めていた。人を使い慣れ、どうすれば人を最小限の動作で動かすことができるかを知り尽くした立ち振る舞い。最初に出会った頃は、自分の立場に押しつぶされて壊れてしまいそうな子供だったのに。今では自分の方が、いつまでたっても成長できない出来の悪い子供のようだ。
彼に従いいつもの場所に腰掛けはするが、心を支配する暗澹たる気持ちは中々消えそうにない。
「……部下を死なせた」
「それくらい割り切れ」
「前の部隊から私についてきてくれた部下だった……何もしてやれず、守ってやることすらできなかったんだ」
「…………貴様が殴られた理由がよくわかった、俺がその場にいても貴様を殴るぞ」






 世界の壁すら越えて二人を結びつけていく






 大人でも全身を包むので精一杯の毛布の中で器用に丸まり、全身をうまく外気に晒さないようにしているのはもう彼が戦場慣れしているということなのだろう。土や石の上で眠り、星空を見ながら夜を過ごすことが当たり前の生活。体を冷やさないことが体力を失わない一番の秘訣だと知り尽くしているその姿に、周囲の大人達は顔を曇らせることしかできない。
「こう器用なのも問題なのかもしれないわね」
 寂しげに小さく呟いたナジュリスの横で、大きすぎる影が無言で動いた。
 自らの毛布を静かな寝息を立てるガダラルの上に更にかけてやり、起こさぬよう細心の注意を払いながら寒くないように布の端を直してやる。最後に額の上で風に揺らされる前髪をそっと直してやると、周囲が軽く困惑している様子を意に介さぬ様子ですっくと立ち上がった。
「ルガジーン……毛布もなしに仮眠を取ると風邪を引くわ」
「私はこれから各所の確認に行ってくる、この天候だ、もしもの事もあるだろうからね」
「でも」
「それが終わったら私も横になる」
 心配性かつ完璧主義の天蛇将の言葉に安堵したのか、周囲で二人を見守っていた人々が離れだした。
 それを確認してから、ルガジーンの唇が小さく動く。
「彼に毛布を貸せば、抱き枕にしても怒られないだろうからね」
「外道極まりないわね、本当に」






 『あちらの世界』と『こちらの世界』、二つの世界が迎える結末は?






「あいつはダチだからな」
 弱さを漏らしあい、時には互いを叱咤激励し。
 自分の信じる物を守るために、何より自分が生きて幸福だと思うために。



「彼は私の友人だよ」
 強くあろうと誓い合い、時には悲しみを分け合い。
 大切な存在を守るために、何より愛する者と共に生きていくために。













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 そろそろスタート予定のanotherside of Churchの予告として書いたもの。