深い紅のドレスが幼い体を鎧のように守っていた。

 周囲を睥睨し、全てをねじ伏せる強く気高い獣のような瞳。

 周りの存在全ての心を捕らえ放さない、鮮やかさと覇気を兼ね備えた絶対的な幼い君主。




 その目が自分を射抜いたとき、彼女に抱いた感情が恋だと理解できた。





「それがルガジーンの初恋だったんだ」
「後から知ったのだが、皇族に連なる姫君だったらしい。高嶺の花だったよ、私には」
「でもその時ルガジーンはまだ子供だったんでしょ?話しかけたり遊んだりはしたんでしょ?」
「話をしたことはあるが……」
「」
 街の見回りついでに始まった世間話が、過去の恋の話になったのはどこからだっただろうか。純粋な好奇心で矢継ぎ早に質問を繰り返してくるミリに答えてやりながら、石と木で作られた乾いた色合いの町並みを歩き続ける。
 今日は物乞いの子供の数も少なく、路地裏から聞こえてくる言い争いの声もほとんど聞こえることがない。この街にしては平和といってもいい風景の中で語られる皇宮での出会いの話は、この雑多な日常の中でミリにとっては夢物語のように聞こえているのだろう。年頃の娘らしく目をきらめかせて続きをせがんでくるが、あの鮮烈な出会いはどれだけ言葉を尽くしても正確に人に伝えることはできないだろう。
 わずかに目線を向けられるだけで鼓動が跳ね上がり、息すらままならなくなる。
 体の苦しさからようやく漏らすができた息すら、彼女を賞賛するため息へと変ずる。
 綺麗な顔立ちだけを求めるのなら他に年頃の近い美姫は沢山いた、だが柔らかい絹に覆われた他のか弱げな姫君たちが、ルガジーンの心を捕らえることはなかった。
 大輪の花のような赤い鎧に守られ、激しく気高い刃のような鋭さと美しさを備えた幼い少女。壁の花となっていても、周囲の者が目をとめずにいられない圧倒的な存在感を放っていたあの少女は、今はもう東国へ輿入れをしてしまっているらしい。







 あの老将軍には散々辛酸をなめさせられたが、血を分けた孫と自分を分け隔て無く愛したことだけは評価してやってもいいとガダラルは思っている。
 周囲の人間の評価は孫を溺愛して引き取ってきた少年には厳しく当たる根性悪だったらしいが、愛情の与え方は違えど、その重さと強さに差異はなかった。か弱い少女には体に負担をかけない愛情が、戦に立つべき少年には彼の未来を紡ぐための愛情が。
 その使い分けが上手かっただけ。
 軍務を離れれば、甘い菓子や珍しい物を土産に持って帰ってきてくれる、おだやかな老人だった。







 魔滅隊の大将軍の孫娘、こんな状況でもなければ声をかけるどころか見ることすら叶わぬ、高貴すぎる姫君。
 まだ女としての特徴を現していないほっそりとした体、華奢な首筋には緑の宝玉をあしらった首飾りが主の代わりに怯えているかのように震えている。辺りを見通すことができないほど深い闇の中、凍るような風が吹き渡る森を子供だけで歩むというのは確かに心細いのだろう。
 普通の少女なら泣き出してもおかしくない様な状況だが、赤い姫君の口からは怯えの声も、震える吐息も漏れてくることはなかった。
 かわりに、少女を庇うように歩くルガジーンの目の前に、小さな光が一つ。
「貴女が?」
「これくらいなら……できる……から」
 相も変わらぬ憮然とした表情のままで、少女はこくりと頷いた。
 ただの光ではなく、前だけを照らすように精密な魔力のコントロールで作られている。前方だけに光をとばすそれは、後ろから追ってくる者たちには中々気づかれにくいだろう。これほどの精度の物でなくとも、もう二つ三つとばすことができれば相手を攪乱することも十分可能。普通の魔法を使う者では一つの維持で精一杯になりそうなそれを表情一つ変えずに維持し、歩きながら時折後ろを振り返り周囲を確認する余裕もある。これが祖父の血を継いだ故の、絶大な魔法の才なのだろう。
 足元に絡みつくドレスが邪魔なのか、時折ふらついてルガジーンの背にしがみつくことはあるが、歩むペースが落ちることはない。しっかりと大地を踏みしめ、無言で背を追いかけてくる少女は、ただルガジーンの背だけを見つめ続けていた。
 まるでルガジーンを後ろからの驚異から守ることが己の仕事だとでもいうかのように。








 わがままではないのだが、強情すぎる妹分の相手は少々骨が折れた。
 自分が間違っているとわかると素直に謝るのだが、そこに至るまでの課程が長すぎる上に、祖父譲りで話が長いところが更に状況を悪化させる。
 祖父がわざわざ用意してくれた夜会用のドレスに散々文句をつけ、作り直し寸前まで行ったこともあったが、あのドレスは彼女じゃなくても文句を言いたくなるものだった。
 赤い花びらを何重にも重ねたようなスカートは間違いなく足に絡みつくだろうし、開いた首元は成長した淑女ならいいのだろうが、まだ胸もふくらんでいない少女には全く似合っていなかった。
 首元に飾る蕾を思わせる石のついたネックレスも、重いだけで胸元を隠す役に立ちそうにない。
 ああでもないこうでもないと文句を言いながら、ドレスを自分の思うように仕立て直してもらおうとする彼女相手に適当に相づちを打ちながら。
 これなら魔法の修練の方が余程楽だと何度思ったことか。









「で、ガダラルの初恋って?」
「気持ちの悪いことを聞くな!」
「ガダラルの初恋相手って気持ち悪かったの?」
「んなことあるか!」
「じゃあ言えるよね〜?」
 ニヤニヤと笑うミリにはめられたような気がしながら、ガダラルは幼い頃の思い出を記憶の底から引っ張り出し始める。ミリの背後でやけに目つきの険しいエルヴァーンがじっとこっちを見ているのだが、先に初恋の話をし始めたのはそっちなのだから。
 怒られる筋合いはない。
「……そうだな…………説教臭くて、そのくせわがままで……どうしようもない奴だったな…………」