血の雨なんて降らせない。





「うわ可愛い、ねえボクにも抱かせて〜」
「こりゃまたでかい拾いものをしてきたもんだな……」
「紐がねじれてるわ、それだと苦しいだけよ。直してあげるわ」
 三者三様の反応はいつものことだが、通常なら烈火の如く反応しそうな最後の一人が何故か静かだった。怒るにしろ、歓迎するにしろ、派手な感情表現で場を楽しませてくれるはずの彼の反応のなさに、思わず全員が彼の顔をのぞき込むが。

 腕を組んで椅子に座ったまま、これ以上ないほど熟睡していた。

「ガダラル……夜番だったっけ?」
「昨日は私と一緒だったから違うと思うけど」
「ねえ、起きてよガダラル」
 ミリの全力の揺さぶりを受けて、ようやく薄く目を開いたガダラルだったが、面倒そうに首を振るとまた目を閉じる。さすがにこの状況はおかしいと思ったのか、他の五蛇将もガダラルの側で声をかけたり色々してみるが。
 うるさいの一言もなく。
 時折目を薄く開けて状況を確認しているようだが、眠気は自分ではどうすることもできないらしく。背中でもぞもぞと暖かい物が動く感触にむずがゆさを感じながら、ルガジーンは静かに彼の肩に手を置いてみた。
「ガダラル」
「……………もう少ししたら落ち着く、少し静かにしろ……」
「だが」
 今の状況は明らかに異常だ、そう続けて伝えようとした時。

「大きいのが来る……どこで何が狂った……」

 呼気の合間に溶けてしまいそうな小さな声。近くにいたルガジーンのみが聞き取れたであろうその声が、激動の数日間の始まりを告げるとは誰も予測しなかっただろう。





 涙なんて流させない。





 手元の紙と新しく届いた物を付き合わせ、変わった部分をチェックする。
 兵糧の集まりが予想以上に悪く、現在の備蓄だけで乗り切ることは不可能に近いのだが、ここで民衆から挑撥することだけは避けたい。なんとか他の道はないか手を尽くしているが、効果が上がらないのが現状だった。
「ガダラル、そちらは?」
「最悪だ、輸送路を潰しながら移動してるからな。届く頃にはこちらが全滅してるかもしれんな」
「笑えない冗談はやめてくれ。こちらもできる限り周辺から備蓄を吐き出してもらっているが、必要量の6割が限界だろう」
「どうする天蛇将?」
 名前ではなく役職名でガダラルが自分を呼ぶときは、本気で困っている時。
 冗談めかした口調を崩さないのは、将が不安がれば周りの人間が不安になることを知っているから。目の前に突然危機が迫ってくるのなら、自分を奮い立たせて無理にでも困難をたたきつぶしていくが、徐々に迫ってくる危機的な状況というのは、神経を想像以上にすり減らしていく。
 今ここにいない他の3人も同じ思いを抱えながら、だが笑顔を顔に貼り付けて。
 心の戦いを続けているのだ、自分も負けるわけにはいかない。ため息をつくわけにはいかないので、もう用済みになった書類を気づかれないようにペンの先でずたずたに引き裂いていく。
 なんでもいいから、ぶつける先が欲しかった。






 背凍てつく風の中、背に触れるのは君のぬくもり。







 雨が全身を針のように突き刺していった。
 風が水滴を凶器に変え、冷えた雨粒は容赦なく気力と体温を奪い取る。前髪からこぼれ落ちる雫が視界を塞ぎ、あわてて手で拭うが今度は手に冷たさが染みこんでいく有様。まだ冬になっていないというのに、この寒さは何なのだろう。
 少しでも足を上げると吹き飛ばされそうな風。
 視界を奪う氷のような雨。
 そして耳元で常に囂々と鳴り続ける、様々な音。
 傭兵たちと連携もとれず、まだ殲滅できていない敵を探しながら歩いていると、全てを貫き通す凛とした声が耳へと届いた。
「ルガジーン、それ以上近づくな」
「近づくなとはどういう……っ」
 濡れてぐしゃぐしゃになったターバンを無理矢理巻き直しながら、周囲を警戒しているガダラルに向けて足を進めようとして。

 見事に転んだ。

「ガ、ガダラル……」
「だから近づくなと言っただろう、面倒だからこの一帯を凍らせてるどころだ」
「……ま、まあ確かに理にはかなっているな」
「そっち側から回ってこい、そっちはまだやってないからな」
 何とか体を起こすと、ガダラルが指さした方向から回って、彼の隣にたどり着くことに成功した。確かにこれだけ周囲が水であふれているのだから、凍らせれば足場が安定せず相手にとっては大打撃なのだが。
 味方を真っ先に引っかけるのはどうなのだろうか。








 だから。






「この馬鹿! 貴様は何を考えている!」
「君がこれ以上傷つくことは避けたかった、それが私の考えていることだが」
「こんな時に馬鹿正直に返すな!」
 自分では見えないのだが、余程ひどいのだろう。
 後ろから響く打撃音は鎌を大地に打ちつけているからだろうか、背に触れる手の温かさは心地よいのに、それすらすぐ雨に流されてしまう。できればもう数瞬だけでいいからこの暖かさを味わっていたいのに。
 








 どうか、君の全てを守れますように。








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 テンペストの予告……続きはなるべく早く書きます……