むかしむかし、こことはちがうくにのおはなし……






 やすらかには見えない、体を休ませるためだけの眠り。
 寝ながら噛み切るのではないかというほど強く結ばれた唇をそっと指で撫で、ゆっくりと解きほぐしてやりながら、もう片方の手で長い髪を梳いてやる。
 愛の言葉もキスもなく。
 ただその苦痛に満ちた寝顔だけを胸に染みこませ、さし込むわずかな月の光に感謝する。わずかに彼の顔が見える程度の光。もう少し明るければきっと、彼が目を覚ましてしまう。そうしたらきっと、彼に向かって本音を全て吐き出すだろう。
 最後にもう一度だけ唇を撫で、一度目を閉じる。
 次に目を開けるときは、もう彼のことは忘れる。自分の中にある暖かくも甘く優しい物は全て切り捨て、羅刹に戻るときが来ただけだ。

 だが、なぜそれがこんなに悲しいのだろうか。






 あるところに、こころやさしいおうじさまがおりました。
 おうじさまはわがままでくちがわるくてらんぼうものの、おひめさまのことがだいすきでしたが、おひめさまはおうじさまからいつもにげてばかり。
 ついにはさいはてのわるいまものがたくさんいるくにまでにげてしまいました。







 本人なりに色々勉強をしているのだろうが、そういう姿をおくびにも出さないミリが人前で本を読んでいるというのが気になって、つい話しかけてしまった。
「珍しいな、何を読んでいるんだ?」
「えっとね、北の国の物語だって」
「どれ……」
 鮮やかな色遣いが印象的な表紙をめくると、子供向けなのか大きすぎる文字と、わかりやすいほどわかりやすい話。ぱらぱらとめくるだけで話がわかってしまうほど内容の薄い本だが、確かに女性向けではあるのかもしれない。
 雪と氷に包まれた国のお姫様が、国に春を取り戻すために旅立つが、悪い魔物に捕まって巨大な塔に幽閉されてしまい。そこにあらわれた隣国の王子がお姫様を救い出して春も取り戻してハッピーエンド、といういかにもな話なのだが。
 ミリは大層楽しんでいるようだった。
「面白いのか?」
「うん! ルガジーンは嫌いなの、こういう話?」
「あまり読まないな……」
「面白いのにね、だって必ず最後はみんな幸せになって終わるんだよ」
 何気なく、本当に何気なくそう言ったミリの言葉に、その場にいた人間の顔がわずかに和んだ。
 悪化していく治安、頻発する蛮族の襲撃、悪化する他国との関係。わずかな希望もない状態で、物語の中だけでも希望を見いだそうとするミリに向けられる笑顔は皆優しい。
 今は傭兵たちがいるから何とかなっている状態だが、三国との関係が悪化し、人材の交流が完全に禁止されたら。それ以前に、属国の反乱が起き資源の流入が途絶えたら。運ばれてくる物資の質の悪化や、ろくに訓練も受けていない新兵。国としての終焉のはじまりを前線で感じながら戦い続けることに、疲れ果てている者も多くなってきているはずだ。
 無邪気に本を読んで楽しんでいるミリの姿が、どれだけ兵に力を与えていることか。
 何気ない姿で希望を体現するミリは、自分で思うよりも遙かに将としての資質を備えているのではないか、ふとそんな事を考えさせられた。






 おひめさまがいなくなったことをしったおうじさまはおおあわて。
 あちこちさがしまわりますが、おひめさまはみつかりません。







「ルガジーン……わかっているのでしょう?」
「わかっている! だが………………」
 ここで自分がアルザビから姿を消せば、どれだけの混乱が起こるか。
 ただでさえガダラルが姿を消したことで、あらゆる憶測が静かに広まりつつある。自分が皇国の終焉を早めるような行動を行ってもいいのか、それ以前に自分を信じ魔笛を任せてくれた聖皇を裏切ってもいいのか?






 そのころおひめさまは、ほのおのつるぎをかたてにたたかいつづけていました。
 あかいおそらにあかいつるぎがきらきらとかがやきます。







 久々に袖を通した装束だったが、ほぼサイズは変わってなかった。
 わずかに腰の辺りが緩くなったが、それも動くのに不自由するほどではない。ろくに訓練もせずにここに放り込まれたのだろう、どうしていいのかわからないといった様子の幼い従卒を下がらせ、最後の確認を行う。留め金がきちんと止まっているか、非常用の糧食は激しい動きをしても落ちないか。昔はこの程度なら従卒が勝手に確認してくれたものだが、鎧の着付けの手伝いすらできない子供に自分の命を預ける気にはならなかった。
 天幕から朝靄で霞む外へ出ると、見慣れた沢山の顔が一斉にこちらを向く。
 裏切り者、どの面を下げて帰ってきたと責められることを予想していたのだが、その顔に浮かんだ表情は誰もが優しく。軽口混じりで歓迎の意や再開の喜びを伝えてくる歴戦の勇士の姿を見ていると、自然と自分の口にも笑顔が浮かんだ。






 おひめさまのほのおのつるぎがそらすらもあかくそめていたころ。
 おうじさまはおひめさまをさがしにたびだつところでした。







 足を止めずにそのまま通り過ぎる。
「いってらっしゃい」
「後を頼む」
 喜んで、と小さく呟き。
 ナジュリスは優しく笑んだまま、背を向けて歩き去っていった。残る彼女と去る自分、はたしてどちらが正道なのか。
 わからぬまま、ただ進む。
 それが彼女に対する唯一の礼の返し方だと信じて。






 ようやくさがしあてたおひめさまは、おうじさまをみるといつもどおりのらんぼうなくちぶりで。げんきいっぱいとはいえませんが、おうじさまはそれをみてほんとうにほっとしました。







 荒い息を隠せぬまま、自分の腕の中に素直に収まっているのはきっともう指一本動かす気力すら残ってないからなのだろうが。自分でなければどんなことをしても彼は逃げ出そうとするのはわかっていたので、肩に顔を埋めながらぶつぶつ呟いているのはあえて無視して、抱き留める腕に力を込めた。
「誰が来いと言った…………貴様はいつも無遠慮に物を言ってくるかと思えば、人が呼んでもいないのに毎回毎回しゃしゃり出てきて……おい、聞いているのか!」
「聞いている、少し痩せたみたいだな」
「貴様は……どういう確かめ方をしてるんだ!」
 体の状態をざざっと触って確かめたのだが、離れていたのはほんのわずかだというのに、一気に体から活力が抜け落ちていた。激務だの何だの言ってはいたが、五蛇将としての働きは彼にとってはそんなに負担になってなかったらしい。
 肩に突き刺さる尖った顎と、骨張った肩。
できるならこのままさっさと連れ帰りたいところだが、この頑固で強情で、そして自分の信念を貫き通す恋人は何があっても帰ろうとしないだろう。
 さてどうすべきかと久々のぬくもりを堪能しながら考えていると、彼らしくない静かな声が肩口から響いた。
「……貴様らしくない…………何を考えてこんな所まで来た」
「私にとっての『幸福』を取り戻しに来ただけだ」
「くだらない」
 そう一言で切り捨てたガダラルの体の重みが急に増し、あわてて体勢を崩しながら受け止める。気が抜けたのかそれとも限界だったのか、疲れ切った顔のまま目を閉じた彼をとりあえず抱え、休める場所を探すことにした。
 鎧込みだというのに抱えて運ぶことができる、その軽さが胸に重くのしかかる。






 おひめさまのほのおのつるぎは、ひとびとのなみだをすってせいちょうするきょだいなまものをもやしつくしましたが。すっかりあれはててしまったせかいは、いちどねむりにつくことになりました。
 おおきなゆきが、すべてをかくすかのようにしずかにふりつもります。







 赤子の拳ほどありそうな雪のかけらが静かに手の平に着地する。
 籠手の上からではぬくもりが伝わらないのか、何度かふわふわと踊った後手の平からこぼれていく姿に、思わず苦笑がこぼれてしまう。

 綺麗なものは全て、自分の手の平から逃げていくのかと。 

 追いかけて、逃げられて。
 これからも何度かこんなことを繰り返しながら、自分は彼に絡め取られていくのかと思うと嬉しさ半分悲鳴半分といったところだが。
 さて今度はどうやって彼を捕らえようか。
 瞬く間に白く染められていく景色に目を奪われながら、心はただ彼のことだけを考え続けていた。






 そうしておうじさまとおひめさまは、いつまでもしあわせにくらしましたとさ。







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タイトルすら考えていない嘘予告……最初は考えていたはずなんですが、見直したらタイトルが書いていなかったという。これを書いている当時、自分内部で昔話の読み聞かせがブームだったのです、なのでこんな感じに。