「なんだ食い過ぎか?」
「いや、逆に食べられないくらいだ」
「……無理のしすぎだ、この馬鹿が」
 ぎりぎりと痛み続ける胃を押さえながら、ビヤーダに用意してもらった胃薬を無理矢理喉に流し込む。書類が山のように積み上げられた愛用の執務机にコップを置いて一息つくと、ガダラルの肘がコップを押しのけてきた。
 机に体を載せ、近づいてくる顔は日頃悪態をついている人間とは思えぬ程神妙で。誰から見ても心配されるこの頃のルガジーンだが、ガダラルの方も少しやつれたというか、いつも程のありあまる覇気が感じられなかった。
 それでも、その目は持って生まれた炎を消すことなく、だが心配げにルガジーンだけを見つめている。
「…………本当に大丈夫なのか?」
「君も通った道なのだろう? むしろ君より楽なのかもしれない」
「だが俺の時はここまでひどくなかった」
 ちらりと彼の目が山となって積み上げられた書状に向けられる。
 その全てが宰相からの手紙であり、さっさと少女を引き渡せという簡単すぎる内容をまわりくどく、それはもうしつこく長文にして毎日のように送りつけてきたりするのである。読むだけで大変なそれを解読し、ちゃんとした形式にのっとった返事を送るだけでルガジーンの体力と気力は日々削り取られていく。
 詳しく聞いてはいないが、少女を引き取った頃のガダラルも同じような状態になっていたらしく。彼の場合は宰相の所に直談判で文句をつけに行って、手紙攻撃等はとりあえず止まったそうなのだが。
それでも何度となく宰相にプレッシャーをかけられ、相談する相手もなく一人で耐えていた彼よりは、一緒に考えることができる自分の方が楽なのだ。それに自分にはガダラルとザザーグが作ってくれた逃げ道がある。
「バストゥークに確認を取ってから正式な返答をする、と返せばいいだけだ」
「その割にはずいぶん追い込まれているみたいだが」
「………………時間がない」
「まあな」
 バストゥークにいる正式な保護者へ、正式な手続きを持って連絡する。それで時間稼ぎを行っている間に、なんとか対策を考えるというのが、最初にガダラルが考えていた切り札だった。国交のほとんど無い国へ正式な書状を送り、それが返ってくるまでにかかる時間は、十分な時間を稼ぐことができる手段になるはずだった。
 事態が彼が考えていたときよりも悪化していなければ。
「あと……どれだけ保ちそうなんだ?」
「わからん。俺にわかるのは、今のあれの側に安易に人は近づけられんということだけだ」
「花が枯れたと聞いたが……」
「弱い花だ、直接生き物に影響が出てくるのはまだまだ先だろう。だが何が起こるかわからんからな」
「花……………………………か」
 あの少女が用意してくれた花を覚えている。
 赤と白が混ざり合った、作った人間の可憐な心を現すかのような可愛らしい花束。切れかけていた自分とガダラルの絆を再度結びつけてくれた彼女が、ゆっくりと癒されることのない毒に侵されていく。
 ひどい話だ、そう考えるとまた胃が嫌になるほど痛み出した。
 顔に出さないようにしたのだが、無意識的に胃を押さえた手と、耐えきれず吐き出した息であっさりとガダラルに気がつかれてしまった。
「貴様は家に来るなよ、変な物を喰わせてこれ以上具合が悪くなっても困る」
「この状態なら何を食べても同じだと思うが…………っ!」

 枯れた花、覇気の感じられないガダラル、彼がルガジーンを家に来させない理由。

「気がついたか」
「まさか彼女の作った料理まで……」
「喰わなければ確かめられんだろうが。心配するな、時折やばいのはあるが、先に吐き出してるしな」
「だがそれでは君が……」
「あれには使い慣れない食材だから、もっと勉強しろと言ってある。あの馬鹿宰相の話では、俺が浸食されることはないらしいしな」
 多少寿命は縮まるかもしれないが。
 さらりとそう付け加えたガダラルは、季節外れの粉雪のような優しさと冷たさが同居した笑みをそっと浮かべる。ルガジーンを安心させたいが、何を言っても安心しない事を理解して。
 それでも笑えば何かが変わると期待して。
 絶望を見せかけの希望に変えようと、必死にもがくガダラルに肩に手をやり、机越しに体を引き寄せた。
「よその国では婚姻の歳にこう言うそうだ……良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓う、と」
「気が狂いそうな言葉だな、できないことを誓ってどうする」
「叶えられない誓いでも、心の奥に止めておく事は悪いことではないだろう? それに今の君と私にこれほど似合う言葉もない」
「胃の痛い馬鹿と進んで早死にしたがる馬鹿なだけだろう、俺たちは」
面白くないと言いたげに唇を尖らせたガダラルの唇。
 執務室でなければそのまま自分のそれで塞いでしまいたかったが、誰が入ってくるかわからない状況なので、さすがにそれは堪えることにした。
互いにぎりぎりに追い込まれている状況であったとしても、まだ自分たちは笑うことができている。
「私は誓えるよ、死が二人を分かつまで君を愛し慈しむことをね」
「貴様の言葉は正直すぎて気持ち悪い」
 彼への愛だって、ちゃんと口にすることができるのだ、気持ちが通じ合っていれば何も恐れることはない。それを口にすればガダラルはまたすねてしまうだろうから、言葉にして告げることはしないが。

 代わりにそっと彼の頭を撫でて、自分を鼓舞してみた。