情事の後のけだるい体を起こし、まとわりついてくる腕を振り払う。
 ベッドの下に落ちていた夜着を適当に身に纏っていると、窓の外からわずかな音がしたような気がした。窓の外の大樹の葉はもう落ちており、風が吹いても音を立てることはないはず。
「……なんだ?」
「鳥だろう、気にすることはない」
「この時間に鳥が飛ぶか? 今頃は巣で寝ている時間だ」
 ベッドから下りようとすると、ルガジーンの腕の中に無理矢理引き寄せられる。
 文句を言うがその文句すら唇で封じられ、再度夜着を脱がそうとうごめき始めた手をぴしゃりと叩くと、ようやく降参したかのように拘束が緩んだ。そのかわり、毛布がガダラルの頭から足先までを一気に包み込む。
「ガダラル……言わないつもりだったが」
「なにがだ」
 外に聞こえぬよう、表情が見えぬように毛布で包まれた体に、囁きに近い声が届いた。
「あの子が見ていた」
「…………っっっっ!!!」
「このまま気がつかないで欲しかったよ」
「わかっていたならさっさと言えっ!」
「後戻りできないところだった……気がついたのが」
 外から見れば、毛布にくるまれた蓑虫がひそひそと内緒話をしているだけに見えるだろうが。
 ガダラルにしてみたら主人としての威厳とか、家長としての権力とかが全て崩壊した瞬間だった。よりにもよって男に組み敷かれていいようにされている上に、それを拒まず素直に受け入れているところを見られてるとは。
 まあ見られたものはしょうがないし、向こうも見なかったことにして普通に接してくるだろうから気にはしないことにする。
 それよりも気になるのは、
「貴様、何故そんなにのんきに構えている?」
 見られて気にするのはルガジーンの方だと思っていたのだが、全くショックを受けていないようだった。苦々しげな顔をしているガダラルの頬に手を滑らせ、慰めるかのように撫で続けている顔には笑顔すら浮かんでいる。
「この頃君はあの子にご執心のようだったのでね、距離を置いてもらうにはこれが一番いいだろうと思ったのは事実だ」
「ガキの教育に悪いだろうが……」
 普段は真面目一辺倒なくせに、時折恐ろしいほど冷静に状況を読む。そして自分にとって一番いい状況を作り上げるのだ、この男は。利己的なのではなく、それを万人のために行うのは悪いことではないのだろうが。
 今のこいつは単なるわがままだな、そう内心で評価したガダラルは冷え切った空気から身を守るために更に強く毛布で己の身をくるむ。さすがに顔は出してから、すっかり冷えた空気の中でも寒さを全く感じていないかのようなルガジーンに体をすり寄せた。暖房としては、彼は非常に優秀である。
 遠くから、星芒祭の終わりを告げる鐘の音が聞こえる。
 傭兵有志一同が星芒祭の間だけはと懇願して物見櫓のてっぺんにつけたものらしいが、遠く離れたここまで聞こえるということは、相当大きなものなのだろう。
「馴染みのない祭りだが、終わってみると寂しいものだな」
「私は終わりを待ち望んでいたが?」
「祭りは長い方が面白いだろう」
「星芒祭が終わったら全てを話す……そういう約束だったはずだが?」
「………………………………………………覚えてたのか」
 心底忘れていて欲しかった。
 だが、彼が自分とした約束を忘れるわけがないわけで。できればこのまま約束など忘れたふりをしたいところだが、先程までの笑顔を消し自分の言葉を待っている彼をないがしろにするわけにはいかない。
「青魔法の論理は知っているな?」
 毛布の中で拳を握りしめ、まずはそこから話を始めることにした。






 青魔法、それは魔物の魂を人の魂に取り込むことで得ることができる禁断の力。近年では禁忌とされていた魔物の体組織の移植の実験も影で進められており、人の身を維持しながら人ならぬ力を用いるための研究が進められていた。
 全ては皇国のため、それだけのために。
「俺は全く興味がなかったんだがな、蛮族どもと東部の国との喧嘩ですっかり兵の質が下がったんで、また研究に力を入れ始めたらしい。昔皇宮で大暴れしたキメラも、もう一回作ってみるんじゃないかって噂だ」
「ガダラル……君の調べた結果を聞きたい訳じゃない」
 まずは青魔法についてのおさらいから始めたのだが、ルガジーンには遠回りをしているように感じられたらしい。
 まずはこれを理解してもらわなければ次に進めないのだが、まあしょうがないだろう。ベッドに体を埋めたまま、こちらを半目で睨みつける彼に、にやっと笑いかけてやりながら、続きを話すことにする。
「まだあれから1年たっていないのか……あの時皇宮から逃げ出した実験体が一匹……いや一人だなあれは……まあとにかくいた。それは俺たちがオークどもとやりあっているアルザビに迷い込んできて、そこで…………一人のガキの目の前ではじけ飛んで死んだわけだ」
 まだ一応人の姿は維持していた。
 膨らんだ菌糸類のような腕、なんの魔物の目を移植されたのかもわからない禍々しい腐った血の塊のような目、常に蠢き続ける全身を這い回る長虫のような血管。助けを求める悲鳴ではなく、死ぬことができることに狂喜しながら、全身の血を周囲に振りまきながら爆ぜて死んだそれの目の前には、一人の小さなタルタルの姿。
 自分と少女を追ってきたナジュリスのことは風の魔法で守ることはできた。が、全身に果汁のように澄んだ色合いの血液を浴びた少女は、意識を失ったままナジュリスが保護することに。
「ナジュリスの奴は自分がもっと早く気がついていればと騒いでたが、俺が間違えてファイガで路地裏に吹っ飛ばしたせいであんな目にあったわけだからな」
「それから…………どうなった?」
「その後が大騒ぎでな、弾け飛んだ奴の回収に不滅隊が来て体は徹底的に調べられるわ、他の接触者はいないかって大騒ぎするわで……」
 ガダラルの言葉の意味することがわからず、いぶかしげに首を捻るルガジーンだったが、事の重大さだけは理解できているのだろう。続きを急かすかのように、無言でこちらの手を掴んでくる。
「感染するらしい、自分で試してはいないがな」
「っ!」
「あれは思いっきり血を被っていた……背中に赤いほくろのような跡ができててな、浸食が始まっているとラウバーンは言っていたが。ナジュリスでは手におえんし、不滅隊の手に渡せば処分されるか実験材料だ」
「それで君が引き取ったわけだ」
「浸食が進めば、あれも化け物になる……何とか食い止めるための手を探していたんだが、なかなか上手くいかなくてな」
 青魔法について学べるだけ学んだ、異国の神学にも頼ってみた。
 そのうちに、不滅隊から手に入れたその不浄の血を、召喚獣は受け入れないことを知った。召喚士であるあの少女がこのまま召喚獣との関係を強め、己の力で制御しきれるようになれば、もしかして浸食は止まるかもしれない。
 そのために宰相の許可を取ってから遠方に旅にも出した、できることは全てやった。
 赤いほくろは日に日に大きくなり、今は赤子の拳ほどの大きさになっている。背中にあるので本人が気がつかないのが唯一の幸いだろう。
「宰相は……何を考えて君に預けたままで?」
「精神と肉体のバランスが崩れると、一気に浸食が進むらしい。俺の側で安定した状態でいた方が、観察するにはちょうど良かった、最初はな」
「事情が変わったということか」
「他に感染した奴がいたらしくてな、そいつは腹の中に子供がいたらしい……生まれた子供は生まれた瞬間から産声がわりに青魔法を使ったそうだ」
 青魔道士の子供が生まれついての青魔道士になるということはない。後天的に植え付けた形質を、その子供が継ぐわけがないのだから。だからこそ青魔道士という皇国特有の力を育成するには、恐ろしいほどの手間とコストがかかっていたわけだが。もし生まれつき青魔道士である存在を作ることができるなら、そしてそれを量産することができるのならば。
 戦力の増強を求める宰相が、少女を欲したのも無理はないところだろう。一国の長として、国の未来を考えるのは当たり前のことだ。たとえそれが狂った道筋だとしても、追い求める価値はある。
 ガダラルの長い話に、ルガジーンはほとんど口を挟まなかったが、わずかに唇に力を込めて話を終わらせるための言葉を告げた。
「それだけのことを、君はずっと一人で行ってきた訳か」
 もう少し話しておきたいことはあったが、ルガジーンの聞きたい話はもう終わったと判断していいのだろう。
 強ばった唇から力を抜かず、ルガジーンはまだ星芒祭の名残の光が残る窓の外に目線をやる。きっともう部屋に帰って眠っているであろう少女の事を思っているのか。
「これからどうすればいいのか、さっぱりわからん。貴様のおかげで多少の猶予期間はもらえたようだが、いずれもう一度話し合わんといかんだろう」
「今度は私も同席させてもらう、私が彼女の保護者なのだから」
「……当たり前だ、貴様にはせいぜい働いてもらうぞ」
 巻き込みたくないから話すつもりはなかった。
 だが状況は刻々と移り変わり、彼に話すことになってしまった今。どれだけ拒んでも勝手に助力をしてくるのなら、助けを求めた方が彼の安全も確保できる。自分のあずかり知らぬところで勝手に動かれる方が、危険なのだ。
 宰相が今後どんな手を打ってくるのか、予想もつかないが。
 まずはナジュリスとミリに、全部をルガジーンに話したことを謝らなければいけないだろう。彼女らもルガジーンをこの件に巻き込むことを嫌がっていた。ザザーグは成り行きで巻き込んでしまったが、聡い彼は理由を一切聞かなかった。
 少女を守るために頭を下げた、それがきっかけで親しくなった人間もいる。偏見と思いこみで嫌っていた人間にも、それぞれの事情があることを理解できた。人は己の利益のために動き、そしてそれが調和することがないからこそぶつかり合い、そして憎み合う。それを身をもって知り、わずかでも人に優しくできるようになり、優しさを受け入れられるようになった。
 それもあの少女のおかげ。
 最初は知的好奇心からだった少女との生活は、ガダラルにとって失ってはいけないものとなった。誰かと朝挨拶をし、仕事に行くという当たり前の行為が与えてくれる安らぎや喜び、何気ない会話ができる存在が必ず家にいる幸せ。
「だがあまり無理はしないように……また同じ事があれば、私もそれなりの対応を取らせてもらう」
 横になったままのガダラルの頭にぽんと手を置き、わしゃわしゃと髪をかき回すルガジーンの目は全く笑っていなかった。彼の中ではあくまでもガダラルの安全が第一ということなのだろう。嬉しいようなこそばゆいような、妙な感じではあるが。
 全てを信じ、受け入れてくれたことは素直にありがたい。
 ほっとしたのか、一気に寒さが身に染みこんできた。暖炉の薪を足そうと体を起こすと、必然的に目にはいるのは窓の外。
「雪…………か」
 外で舞い始めている白い雪片をなんとなしに眺めていると、同じく体を起こしたルガジーンが後ろから手を伸ばしてきた。背に感じる暖かさは、東部で闘っていた頃にはなかったもの。
 あの頃は嫌いだと感じていた冬、恐ろしいとすら感じていた冬。
 だが今は温めてくれる存在があり、温めてやりたいと思える共に生きる人たちがいる。後ろへ手を伸ばし、ルガジーンの髪に触れる。持ち主の体温を移したのか、ほのかに暖かいそれを指で弄びながら、薪を足すのはやめてもう少し身近な暖かさを堪能することにした。



 色々あったりするが、今の自分はきっと幸せだ。