酒瓶片手の夜中の訪問が、当たり前になってしまった。 仕事の合間を縫ってなので月に数度というところだが、それでも相手は一応楽しみにしているらしい。こちらからみればこんな安酒と口を開けば悪態ばかりの男に来訪されて何が楽しいと思うのだが、たまには珍味もいいと言うことなのだろう、と無理矢理納得しておく。 ろくに挨拶もせず室内に入ると、護衛役として側についている不滅隊の若者がまた変わっていた。 「来たか」 「土産だ」 「相変わらずこんな酒しか持ってこられないのか」 「ろくに金もよこさない宰相がいるのでな」 睨みつけながら適当に腰を下ろすと、即座に周囲の不滅隊から杯が差し出される。手酌で飲むのは行儀が悪いとされているが、目の前の高貴と言える相手がもう手酌で始めているのだ、こっちがそうしない道理はない。その辺に転がっている酒を勝手に手にとって、適当に注ぐと、高級な酒特有の豊かな香りが一気に広がった。 一国の宰相様が、ただの将に過ぎない自分相手に酒盛りとは通常なら余程やることがないと思うのだが。 ただ酒を側で飲んでいるだけだというのに、全身からあらゆるものを剥ぎ取っていくようなそんな奇妙な威圧感が、静かにガダラルを押しつぶしていく。それでも、ここでこの男に屈するわけにはいかない。相手の言い分はわかるし、こういう状況でなければ手を貸していた可能性もなきにしもあらずだが、この男はガダラルの懐にある存在に手を出そうとしている。 それだけは、させたくない。 「ところで例の件は」 「納得させた、出立準備を整えろ」 「離れている間に、彼女の気持ちが変わるかもしれない。それでも構わないのだろうな」 「どう考えるかは、あれの自由だ。だがな、あれの気持ちを無視して勝手に事を進めようとすれば、俺にも考えがある。そう前に言ったのは覚えているな?」 「彼女が己の意志で帰ってこない、そんな可能性もあるが」 「お優しくて偉大な宰相様は、そんな無駄なことはしないだろう」 優しさのかけらもない笑いを顔に貼り付けたまま、ラズファードが静かにこちらに問うてくる。ゆったりと高級な織物の敷かれた床の上に座り、一段下で勝手に酒を飲み続けているガダラルに、冷たさと熱さが綯い交ぜになった視線を向けながら、王者の気品は決して薄れることがない。 「無理強いすれば今のバランスが崩れる、それくらいはわかっているだろう。だから俺の元から無理に連れ出したりしないで様子を見ている。成熟するまでじっくりと状態を観察して、その上で搦め手を使って手にいれるのが一番いい。時間はかかるがな」 「……つくづく、勿体ない話だ」 慇懃無礼そのものだったラズファードの声に、わずかに人のぬくもりが混ざる。 「なにがだ?」 「己の頭で考えることのでき、前線に立つことのできる将はなかなかいない。蒼き獅子となれば、それなりの厚遇を約束するというのに」 「俺にあれを着ろというのか……」 顎をしゃくって、側に控えている不滅隊の若者を示すと、ラズファードが数瞬考え込んだ。 そしてきっぱり。 「似合わないな」 「似合うか、馬鹿」 馬鹿と罵った瞬間、後ろの不滅隊の青年が胃を押さえて顔をしかめた気がするが、見ないことにする。自分でも馬鹿と罵っていい相手ではないのはわかっているのだが、生まれ持った性格上、どうもそれができない。むしろラズファードはそれが好ましくて、ガダラルを時折呼ぶのかもしれない。 最初に彼の所へ直談判に行ったとき、蟄居幽閉、または死を覚悟していた。 そのかわり、言いたいことは言いたいだけ言って、後悔しないようにしようと。その結果がこういう関係を産んだというのはある意味いいことなのだろうが、逆に困った問題も生んでしまった。どうもこの男を憎めないというか、国のため、そして未来を築くためにすさまじい努力をしていることを知ってしまうと、面と向かって罵りにくいというか。 まあそれでもかなり言いたい放題言っているのだが。 酒も進んで話も進み、東部戦線の話などでひとしきり盛り上がり。 更けていく夜の帳の中、この国の未来に話が及んだとき、ラズファードはこんな事を聞いてきた。 「私は……間違っているのか?」 「貴様が間違っているのかを決めるのは俺ではない、この国の民だ」 「ならば、国を守る蛇を裁くのはこの国か、それとも民か?」 自分を裁くのが国の民ならば、お前は何に裁かれる? 杯が砕けそうなほど指に力を込め、だが顔色は一切変えないラズファードに、なんと言えばいいのか。少し考えたが、酔いが回っているからか、答えが一つしか出てこなかった。 「決まっている、俺を裁くことをできるのも、俺を殺すのもただ一人だ」 まあ言った者勝ちだなと自分に言い訳しつつ、照れ隠しに一気に酒を飲み干すと、ラズファードの隠しきれない笑い声が部屋全体に響き渡った。そういえば、声を出して笑うのを見たのは初めてだなと思いながら、彼に向かって杯を持ち上げてやる。 国全体を守るのは難しいが、人一人を守るのだって難しい。 互いに守るものがあって、そのためには自分の身すら犠牲にしようとする。思いは同じなのだから、この調子で今後も上手くやっていければいいが。もう少し彼と酒の力を借りて話せば更に伝わることもあるのだろう。 が、ルガジーンになんて言い訳すればいいのか、それ以前にこの件をどういうタイミングで説明すればいいのやら。 悩みは春に咲く花のように大輪に咲き誇り。 やらなければいけないことは山積みで。 それでも、今の生活が愛おしくて楽しいと思ってしまうのだから、もう少しだけ一人でやってみるしかない。夏の匂いのする酒を飲み干しながら外を見やると、冬の最初のひとひらが空から舞い降り始めていた。 最初の雪を手に入れることができた者は、その冬で一番幸福な存在になれる。 そんな民の言い伝えも目の前の若い宰相は知らないのだろう。今日はその話でも教えてやるかと、彼に向かいなおして口を開いた。 せめてこの一時だけでも、目の前の青年に幸せを味わってもらいたい。 |