『贖罪のラプソディー』 8







 どこまでも白く、そして暖かい。
 一切汚れのない世界に降り注ぐのは、柔らかく軽い純白の羽毛だった。下を見れば足元を包み込んでいるのは、その羽毛の作る絨毯で。
 心から冷えてしまったルルーシュの体を、その全てが温めてくれていた。
 広く、果ての見えない白い世界の中、歩むことなくルルーシュはその場にぺたりと腰を下ろす。途端にふわりと舞う雪のような羽が彼の腰までを一気に包み込み、視界を更なる濃い白に染め上げた。
「夢だな」
 泣くだけ泣いて魚の埋葬をすませたところで記憶が途切れている。
 あの状況から一気に殺害されたり、天からいきなりフレイアの炎が墜ちてくるという可能性はないに近いので、死んだということはまずない。この非現実的な光景や、最後の状況を考えると夢と判断するのが正しいだろう。
 夢の中だというのに無駄に理屈っぽい自分の性格をちょっと呪いつつ、手に触れるふわふわとした羽にそっと手をやってみる。生まれたての赤ん坊のような柔らかさとぬくもりに、この羽に埋もれて消えてしまえば楽になるのだろうなと、ふとそんなことを考えた。
 スザクの目の前で泣くつもりなどなかった。
 彼にまた精神的な負担を背負わせ、最後にあんな言葉を吐いてしまった自分を責めなければいけないのに。それと同時に幼かった頃のように自分の涙を拭ってくれたスザクの指の優しさに、ほんのわずかな希望を抱いてしまう自分の愚かさが恨めしい。
 自分を追い込む言葉ならいくらでも量産できるのに、スザクの罪悪感を和らげ、未来に目を向けさせる言葉は全く思いつかない。
「情けない……」
「情けなくなんかないよ、兄さん」
 思わず口から漏れ出た言葉、それに対して聞こえてきたはっきりとした返答にルルーシュは慌てて後ろを向いた。
「……………………ロロ……」
「ようやく会えた」
 はにかむような笑みで自分を見下ろしている、大切な『弟』の姿。夢だとしても都合の良すぎる展開に、ルルーシュの中でいくつか仮説が立てられた。
「コードの影響か」
「僕に難しいことはわからないけど、兄さんの所以外には行けないみたいだから、そうなんじゃないかな」
「俺はシャルルのコードは受け継がなかったはずなんだがな……」
 自分の隣にぺたりと腰を下ろすロロの頭を撫でてやりながら、ルルーシュは自分の仮説が何となく正しいことを知った。
 父から受け継ぐことを拒否したコードだったが、残滓のようなものがルルーシュの中には残っているのかもしれない。ギアスを与えられたまま死した少年ならば、コードという絆の糸を通して心に触れてくる可能性もあるだろう。
 これが完全なルルーシュの夢である確立の方が高いのだろうが。
 ルルーシュが見たこともないはじけるような笑顔で身をすり寄せてくるロロは、肉体を失ったことで新しい心のあり方を手に入れた姿のような気がしてならなかった。ルルーシュが見たことがないものが夢の中に出てくるわけがない、だからこれはきっとコードの残滓が生み出してくれた小さな奇跡。
 たとえそれが間違いであっても、それを信じることにした。
「でも兄さんひどいよ、僕はずっと兄さんに会いたかったのに、全然僕のこと呼んでくれなくて」
「それはすまないことをしたな、寂しかっただろう」
「スザクさんにふられたからってて僕を呼ぶって言うのが気にくわないけど……でも兄さんに会えたからいいや」
「誰がスザクにふられたって!」
「違うの?」
「…………俺が勝手に墓穴を掘っただけだ」
 死ぬ間際のことを全て忘れたかのように懐いてくるロロが、ただ愛おしい。
 そういえば彼と自分はあの死の間際に、ようやく家族になれたわけで。本当の兄と弟として再会するのはこれが最初ということになる。もし自分が彼を受け入れていなかったせいで彼が自分に会えなかったというのなら、本当にひどいことをしたと思う。
 とはいえ、それと自分の心の傷を無邪気にえぐられるのは別問題。
「兄さん元気出して……死んだら僕が一番に迎えに来るから」
「それは何の慰めにもなってない」
「でも、兄さんはすぐ僕の所に来てくれるんでしょう?」
「ああ、もう少しだ。全部終わったら、また一緒に暮らそう……」
「うん!」
 喜んで自分に抱きついてくるロロの動きで白い羽が舞い上がる。
 絶え間なく降り注ぐ羽も、ロロも暖かい。全てが終われば、ずっとこんな場所で安らいでいられるのだろう。自分には死した後で待っていてくれる人がいる、世界のために、妹のために、この命を賭けてて全てを後に託すことができる。
 でもスザクには何もない。
 裏切りの騎士、虐殺の騎士。あらゆる汚名を受け、それでもこの世界で生きることを選び続ける彼には、生き続けても救いを得ることができる保証も、共に生きて罪を一緒に償ってくれる人もいない。
 ロロのおかげで少し浮上した気持ちが、それを考えるとまた沈んでしまう。だが、それをまた救ってくれたのもロロだった。
「ねえ兄さん。もう少しわがままに生きてみたら?」
「俺は今でも十分わがままな専制君主だと思うが」
「そうじゃなくて……自分の死ぬ時を決めちゃったのなら、もっと思ったこととかやりたいこととか全部やってみたらってこと」
「やりたいこと……」
「こうなっちゃうとね、兄さん。すごく楽になるけど、何も変わらないんだよ。僕は何度も兄さんを助けてあげたくても助けてあげられなかったし、今だって兄さんが苦しんでいるのに何もしてあげられない」
 ぎゅっとロロがしがみついてくる力が増す。胸元が濡れてきているように感じるが、ロロの頭を強く抱くことでそれは考えないことにした。
「死んだら……スザクさんを見守ることができても、もう話すことも触ることもできないんだよ」
「ロロ……」
「兄さんが決めたことだから、僕は兄さんを信じる。でも約束して、後悔とかを少しも残さずに僕の所に来てくれるって」
 鼻をすする音と、胸に必要以上に押しつけられるロロの頭。
 くぐもって多少聞こえづらい彼の声、でもそれはルルーシュの耳にも、心にもちゃんと届いた。兄の幸せを心底望む弟の言葉は、他の誰の同情の言葉よりも、苦言よりも確実にルルーシュの胸を突き刺す。
 痛みではなく、それが生み出すのは絶対的な幸福感。
 自分を無条件に肯定し、信じてくれる存在がいる自分はどれだけ幸せ者なのだろう。そんなことを考えたとき、ルルーシュはとあることに気がつきそれをそのまま口に出した。
「俺はスザクを信じていなかったんだな」
「好きと信じているは別なんだよ、きっと」
「そうだな…………ああロロ、そろそろ顔を上げてくれ。お前の顔を久しぶりにちゃんと見たいし、顔も綺麗にしてやりたい」
「泣いてなんていないからね、僕!」
 顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら顔をあげる弟を、今度は自分から強く抱きしめる。最後まで、いや死してなお自分を守ろうとしてくれる愛しい弟。

スザクにもこうしてやれば良かったんだ。

 全ての罪を洗い流すような白い羽の振る中、弟のぬくもりに癒されつつ。罪に流され、命を賭けて贖罪を行おうとしていた若き皇帝は、新たな決意を固めようとしていた。