『贖罪のラプソディー』6 なんとかコミュニケーションを取れるようになろうとルルーシュの所へ通い詰めるようになってから、数日が経過した。変わったのは机に水槽が置かれたことと、ルルーシュがこちらの声かけに時折押し黙るようになったことだけ。 あとは何も変わっていない。 心を許した人たちには様々な表情を向けるというのに、自分には青ざめた唇で愛想笑いの一つも作ってくれない。この頃ルルーシュが心を許している人の枠にロイドまで入るようになったのか、時折ランスロットのハンガーに顔を出してはにかんだ笑顔でロイドとの会話を楽しんでいる。 不器用に兄を慕う弟と、その弟を温かく見守る兄のような二人に、スザクは心中穏やかではなかった。自分がどれだけ手を尽くしても、ルルーシュの笑顔一つ見ることができないのに、少し会話を交わしただけでロイドは彼の心を手に入れている。 それを契機に、ルルーシュの部屋に行くことが増えたわけだが。 ロイドへの対抗心でというのも情けない話だというのはわかっている。だがそんなあさましい思いを原動力にしなければ、動けなくなっているのも事実。 色々複雑な思いを抱えながら、スザクは今日も皇帝の私室兼執務室へ赴いた。 「…………ルルーシュ……いるの?」 「スザクか、悪いが今は取り込み中だ」 「僕に内緒でどんな悪巧み?」 そう言ってしまったのも無理はない。 ルルーシュの第一声があまりにも枯れ果てており、嘆きの果てに全てを捨ててしまった世捨て人のような諦めを含んでおり。そしてそれをスザクに気づかれまいと、必死に取り繕っているのが知りたくなくてもわかってしまったから。 ルルーシュの制止の声を無視し、そのまま部屋にずかずかと入り込む。 広い部屋だが、家具が密集しておかれているわけではない。机の近辺にいなければ台所だろうと当たりをつけると、足を速めてそちらへ向かった。あのルルーシュが隠れたり逃げたりするわけがなく、見渡して見つからないのなら当然そこにしかいないわけだが。 「見つけた」 「……取り込み中と言っただろう」 「皇帝陛下は泣くのが仕事な訳?」 「泣いてなんていない!」 菫色の瞳から、ぽろりとこぼれ落ちる雫。 血管が透ける程白くなった彼の掌には、数日の間ルルーシュと時間を共に過ごしていた川魚がいた。わずかの動きもないことや、えらが動いていないことから察するまでもなく、その命は失われてしまったのだろう。 水槽を掃除していたのか、中身が空っぽになった水槽がシンクに置かれている。 涙を拭うことなく、スザクから顔を背けることで自分を守ろうとするルルーシュを見ていると、昔を思い出す。捕った魚を殺すのが可哀想だと涙を流した優しい彼を、涙を流した彼に寄り添って過ごした、幼い日のことを。 なんのことはない、あの頃から変わっていないのだ彼は。 「ごめん」 「何がごめんだ、俺の飼育方法が間違っていただけだ……お前が謝る必要がどこにある!」 「それでも……ごめん、だよ」 決してそれることのないスザクの目線が気になったのか、ようやく手の甲で涙を拭おうとしたルルーシュの手を自らの手で押しとどめる。美しすぎる瞳が、そこからこぼれ落ちる透明な涙が、見えなくなってしまうのは忍びない。 それに手で無理矢理こすったら、彼の目元が赤くなってしまう。 だから指で目尻を拭い、頬まで流れる涙は自分の手の甲で拭ってみた。ぐずる子供のように首を振って抵抗したルルーシュだったが、無理矢理スザクを止める気はないらしく、最後にはあきらめたかのように下を向いた。 「もう帰ってくれ」 「今のルルーシュを置いて帰れるわけないだろう?」 「人の泣き顔を見て楽しいか」 「ルルーシュのならね」 「……勝手に言ってろ」 楽しいと言えば楽しいのかもしれない。 ずっと心を閉ざしていた彼が、わずかなきっかけで本心を見せてくれた。死んでしまった魚は可哀想だが、この好機を逃すわけにはいかないだろう。 彼の涙を拭ってやりながら、そっと手を頭に乗せる。 「この魚は残念だったけど、また取ってくるから。だから……」 その瞬間、部屋の空気全てが凍り付いたような気がした。 熱がこもり始めていたルルーシュの声が、凍土よりも更に凍てついた響きを放つ。 「命に代わりがあるわけないだろう」 「でもルルーシュ……」 「魚なら代わりを持ってくればいいと思っているのか? これは俺のミスだ、代わりの命で贖えるものではない」 頬に触れていた手も、頭に乗せていた手も振り払われた。 目はまだ涙に濡れていても、そこにあったのは一国の皇帝だった。年齢に似合わぬ威厳と、高潔すぎる魂の形。 今にも消えてしまいそうな、だがまばゆく輝く心の強さ。 「そういう意味で言ったんじゃない!」 「言っていたら俺はお前を二度とこの部屋に入れはしない。何のために俺の機嫌取りをしようとしていたかはあえて聞かないが、気分のいいものではないぞ」 「僕はそんなつもりじゃ…………」 開きかけていた心のドアが一気に閉ざされ、菫色の瞳に影が滲む。 あまり力の入っていないルルーシュの手が、スザクを突き飛ばした。ルルーシュに突然豹変されたショックが、簡単に自分の体を後退させた事に驚きつつ、それでもスザクは言葉を繋ごうとする。 これを逃してしまえば、次に彼の心を開くチャンスはいつになるのかわからない。 「ルルーシュ、僕は」 「帰れ」 「帰らないよ、僕はルルーシュと話がしたい」 「なら言い方を変えようか、頼むから帰ってくれ」 顔を歪めるルルーシュの中には、もうわずかの妥協もないだろう。 今日は退くべきか、そんな判断をしかけたスザクの耳に入ってきた言葉は、彼を完全に部屋から撤退させるには十分なものだった。 「俺はお前にユフィを返してやれないのに……」 それを聞いた瞬間、もうその場にいることが耐えられなくなった。 ルルーシュの顔も、彼がその後に何を言おうとしたのかも聞くことなく、ただ無言で部屋を出る。 彼女の死に様を思い出したからではなく、彼女の死がルルーシュに刻んだ傷。その大きさと深さ、そして自分に対してどれだけ彼が負い目を追っていたのかがわかってしまったから。 それは起きている時だけ見る悪夢、終わらない絶望。 |