『贖罪のラプソディー』 2







 純白の正装に、漆黒の髪がよく映える。
 政務用に自室に持ち込んだ紫檀の巨大な机の上で、彼の手が優雅に滑っていた。書類をめくり、小さなPCにデータを打ち込む手を止めずに、同時に重要な決裁にサインをすることも忘れない彼の仕事ぶりはいつも驚嘆に値するのだが。
「どうしたスザ…………C.C、勝手にギョウザにラー油をかけるな」
「こっちから半分は私の分だ、私が何をしても構わないだろう」
「液体は領土浸食するんだ、わかっていてやるな!」
「ル……ルルーシュ…………ここはブリタニア皇帝の執務室でいいんだよね?」
 書類やPCと並んで、政務机の上にはチャーハンとラーメンとギョウザ。
 おまけにメイドと見まごうばかりの漆黒のエプロンドレスを纏ったC.Cまでが、ご相伴にあずかっている。元々行儀の悪いC.Cは机の上に座って食べているが、ルルーシュはさすがに椅子に座っての食事。ルルーシュがあの魔女ほど精神的に堕落していなくて良かったと内心胸をなで下ろしながら、スザクはもう何度目になるかわからない陳情を皇帝陛下に試みてみることにした。
 ナイトオブゼロからの陳情は、別名『心の底からのお願い』ともいう。
「あのねルルーシュ、皇帝陛下は出前なんて頼まないんだよ」
「庸さんの店の担々麺は絶品だが」
「だから! 非常事態用の秘密通路を使って出前をしてもらう皇帝ががどこにいる訳!?」
「ここにいる、なあC.C?」
「不良皇帝だがな」
 ルルーシュがスザクとの会話に集中している間にギョウザを全部平らげたC.Cは、頂点まで昇った太陽の光を浴びながら大きな欠伸を漏らす。食欲が満たされたら睡眠欲。奔放すぎるこの魔女をルルーシュが信頼しきっているのは気にくわないが、彼女がルルーシュの心を守ってくれているのは事実。
 自分では、ルルーシュに心安らぐ時間を与えられない。
 C.Cに向ける何の遠慮もなく感情をむき出す目線と、自分に向ける遠慮とためらいという名の壁ごしの顔。同じ目標に向けて動いている自分にまで心を許さず、C.Cやごく一部の側近以外の全てを遠ざける彼のこの頃の動きをスザクは責めることも追求することもできないでいた。
 変わりすぎてしまった彼との関係、距離。
 一度は恨み、全ての慟哭や殺意を彼に向け、そして彼を裏切った。今でも心の浅い部分、すぐ引き出せるところに大切な存在を奪った彼への負の感情を置いてはある。敬愛すべき主君を奪った彼への憎しみを押し流すことができる程、時間は流れていない。ここに来る度に嫌味の一つでもぶつけてやろうと思うのだが、彼の姿を見るたびに何も言えなくなっていた。
出前を取ってまでちゃんと食事を取っているはずなのに、すっかり細くなった指。衣服の下は、指以上に細くなっているのではないだろうか。これだけいい天気なのに、命の息吹を感じさせない白すぎる肌も気になる。
 浅い部分にある憎しみとは相反する、奥底でまだうずき続ける彼への思い。
 ほの青い血管が透けて見える首筋を見る度に、幼い頃彼に抱いた熱病のような感情が、息を吹き返していくようだった。首筋を流れる青が、スザクの胸の内に青い炎起こしているのか。
 あの頃の熱が、徐々に蘇り始めていた。
「それで本当の用は?」
「え?」
「俺の昼食の邪魔をしに来たわけでも、こいつみたいに俺のギョウザを食べ尽くすために来たわけでもないだろう」
「……普通に君のご機嫌伺いに来てはだめなのかな?」
「別に構わんが、そろそろランスロットの調整の時間だろう。俺のところで時間を潰すより、そちらに行った方が余程自分のためだ」
「なんで君が僕のスケジュールを知っている?」
「…………皇帝が部下のことを知っていて何が悪い」
 ぴくり、と担々麺をつまんでいた箸が動いた。
 ルルーシュなりに自分のことを気にかけてくれているのだろうが、紫水晶のような瞳は一度もこちらに向かない。自分の存在を視界にも、心にも入れないように。広大で豪奢すぎる室内で、寝息を立て始めている魔女だけを信じて生きる今の生活は、彼にとっていいものだとは思えない。
「皇帝陛下のお心遣い、有り難く受け取っておくよ」
 なのに口から出るのは、表面上の気遣いの言葉ばかり。
 昔は、出会ったばかりの子供の頃は互いに大して遠慮も何もなく、言いたいことを言い合ってわだかまりを作らずに暮らすことができていたというのに。月日の流れが二人の立場を変え、こうして再び近くですごす環境を手に入れたというのに、互いを避ける生活を続けている。
 言いたいことはたくさんあるのに。
 どうして大切なことは何一つとして伝えられないのだろう。
「さっさと行ってこい。ああそれからロイドに調整が終わってから俺の部屋に来るように伝えてくれ」
「わかった……僕はもう行くけど、非常用通路は封鎖しておくから。もう出前は取らないように」
「そうか……それは困ったな」
「ここの食事だって捨てた物じゃないと思うけど」
「味はな」
 初めてルルーシュの目がこちらに向く。
 困ったような、あきらめたような、スザクが綺麗だけど悲しいといつも思ってしまう独特の柔らかい笑み。

「毒入りじゃなければ安心して食べられるんだが」

 笑みを崩さぬままそう呟いて、ルルーシュは今度こそ完全に下を向いた。
 丼を置いて再び書類に手をやり、PCに指を滑らせ始める彼はもう完全にスザクを拒絶していて。出て行けと言いたげにキーボードを叩く音をわざと大きく立てるその姿に、自分に対する拒絶を感じ、スザクは無言で頭を下げて部屋を辞した。








 非常用通路の封鎖は、結局できなかった。