贖罪のラプソディー 1 ブリタニア帝国皇帝の朝は無駄に早い。 世話役のメイドや侍従よりも早く起床し自ら身支度を調えると、私室の隣に作らせた台所にこもり、自ら朝食の準備を始める。それから私室の掃除を行い、緊急の政務を軽く片付けると、豊かに降り注ぐ朝日の下、一国の長のものとは思えない質素極まりない朝食を取り始めるのだが。 「ピザはないのか、ピザは」 「朝からピザを食べる奴がどこにいる、ピザトーストにしてやったからさっさと食べろ」「ピザというのはだな、生地の焼き加減で味わいが決まるんだ。それをこんなふにゃふにゃしたトーストでごまかせると思うのか」 「夕食はピザを頼んでやる」 「それなら今日はこれで妥協してやる。ただし、また私を新しいピザの実験台にはするなよ」 散々文句をつけながらも、口の周辺にピザソースをつけているC.Cは、それなりに今の生活を楽しんでいるようだった。相変わらずいつどこから現れるかはよくわからないが、皇帝となったルルーシュの私室にずけずけと上がり込み、好き放題しては意気揚々と帰って行く。 広いだけ広くて逆に寝心地の悪いベッドや、わずかにシミをつけるだけでどれだけの経済的損害を生み出すかわからない、豪奢すぎる絨毯。雲すら霞む程の白さを誇る壁は、ルルーシュが皇帝になってからすぐに壁紙を張り替えた故らしい。皇帝という存在は、いるだけで金を食う存在だということを日に日に理解させられるが、C.C曰くルルーシュほど質素な皇帝は今までいなかったとのこと。 皇帝としての体面を重視する家臣との戦いの末、朝食は自分で作って政務もこの部屋で行うことはなんとか了承させたが、式典への参加や外交などを考えると、ゆっくりと思考を巡らせる事も中々できない今の状況。 それでも、ルルーシュがこの短いであろう平和の間にしなければならない事は、山のように残っていた。大きすぎる私室には似合わない小さなティーテーブルの上の食器を片付けながら、ルルーシュは見かけに似合わぬ老獪さを備えたC.Cに自分の周囲の状況を語り始めていた。 誰かに聞いてもらうこと、そして話し合うことで思いもつかなかった答えを得ることができる。それを、ルルーシュは黒の騎士団との関わりで知ることができていた。 「貴族どもの解体は順調なんだが……財閥との絡みがな」 「貴族どもから地位も金も全て奪ってやればいいだ。最初はそうするつもりだったのだろう?」 「そういうわけにもいかないだろう。奴らの金を国有化することは一時の利にはなるが、企業間の繋がりが存在しなくなる。全てが終わった後で、経済の混乱まで引き起こすわけにはいかない。KMFの技術を封印しないのと同じ理由だ」 「人々の未来のために、か」 にやりと意味ありげに笑うC.Cの口の端には、まだピザソースが。 そんな子供めいた部分と、自分の先走りすぎる思考を押しとどめてくれる思慮深い側面が同居しているのが彼女の魅力といえば魅力ではあるが。この頃はその思考の鋭さが、ルルーシュを精神的に追い詰める方向に向けられていた。 「スザクの未来ではないのか?」 「…………だらかそれを言うのはやめろ」 「別にお前が死ぬ必要も、この国の皇帝になる必要もなかったはずだ。もっと冴えたやり方をお前の頭脳が思いつかないわけがない」 「何度も説明しただろう、俺に憎悪を集めることで……」 「身代わりを立てることは可能だ、お前以上に人々に憎まれている存在なんていくらでもいるだろう」 それなのに何故お前が? すうっと目を細め、会う度にC.Cはそう問うてくる。 別にお前が死ぬ必要はないだろう、何故そこまで世界のために身を捧げようとする、と。 愛する妹のために平穏な世界を作りたい、だがそこに自分が存在することを放棄することに何の意味があるのか。生きて遠くから見守ることだってできるのに、何故死に急ごうとするのか。言葉ではなく目線で矢継ぎ早に問いかけてくる彼女に、ルルーシュは最良の解を与えることができなかった。 ルルーシュが無駄に命を捨てることを一番心の奥底で嘆いているのは彼女だ。必死さを皮肉というベールで覆い隠して、伝えようとする彼女の思いは受け取るが、今更ひくわけに行かない。 わざと食器を重ねる音を大きくしてC.Cの声をかき消そうとする。 胸に静かに突き刺さる言葉の刃、そしてそれを向けてくる翡翠色の魔女。まだなにか言いたげにこちらを見て、更に言葉を連ねようとする彼女の言葉を聞くわけにはいかない。 そのかわりに、口元についたピザソースをナプキンで拭ってやり、その行為で彼女の言葉を封じ込めた。 「ちゃんと口くらい拭け」 「つくづくずるい男だよ、お前は……」 いつも通りのシニカルな笑い。 今日も切り抜けることができたと内心安堵しながら、心の奥底に常にあるただ一人の面影を更に強く思い浮かべる。 罪を塗り重ね、道を失った愛しい人。 彼の罪を晴らし、生き延びさせるためならどんなことでもする。 自分の命が必要なら捧げ、それで嘆く人間がいてもそれすら無視して。世界中の憎しみと罪を自分に集めて散ることを選んだのだ、たった一つの嘆きくらい無視しなければいけないはずなのに。 共に生き、戦ってきた存在の悲しみがこれほど重いとは。 心の底に暗く重い澱として溜まり、決心を鈍らせていくそれが生む痛みを感じる度。彼はこれ以上に苦しんできたのだろうと、そしてその苦しみは自分が生み出したものだと。 表に出ずここで政務を行うことを決めたのは、この白い空間を自分を閉じこめる牢獄にするため。人を傷つけ、追い詰めて生きてきた存在が最後の時を過ごすのに、これほど綺麗な牢獄はないだろうが。 朝の光をはねかえすほどの白い壁は、罪で汚れきった皇帝の醜さを映すにはふさわしいものに思えた。 |