「AGAPE」 汗と血で滑る鎌を握り直す。 競売所周辺からトロールを駆逐することには成功したが、向こうはこちらの消耗に合わせたように適宜戦力を投入してきている。床に倒れ伏す者、それを癒すために走って近づこうとする者、その場に座り込みわずかな休息を得る者。 近づきつつある新たな敵の足音がここに到達する前に、静かに己を奮い立たせようとする彼らの姿。数は少ないが、この場を死守するために残った者たちに心の底で感謝しながらも、口から出る言葉は乱暴そのもの。 「どうやらまだまだ向こうは戦い足りないようだ。貴様等、皇国のためにもう一度死ぬ覚悟で戦ってこい!」 夜が明ける前から始まった戦いは、日が沈みかけている今もまだ決着がつく様子はなかった。傭兵もそろそろ限界だろうが、正面切って戦い続けているガダラルも極度の疲労に追い詰められつつあった。荒く感じられるほど息をしているはずなのに、体に活力が吹き込まれるきざしすら感じられない。潰れた手の平の肉刺に巻いてあった布は、血などでごわごわに固まってしまったので、とっくに投げ捨てている。 軽く動かす度に痛みを訴える関節と、高い気温の中で寒気を訴える肌。 あと一波なら耐えしのげるが、これ以上続けば自分も傭兵たちもこの場で屍をさらすことになるだろう。比較的襲ってくる蛮族が少ない競売所でこうなのだ、向こうは一体どうなっているのやら。 そう考えながら辺りを見回していると、数人の傭兵がこちらに向かって走ってきたのが目についた。向こうの様子を見に行っていたのだろう、あきらかに慌てた様子でこちらの残っていたであろう仲間に話しかけている。その顔に恐怖と絶望が刻み込まれているのを見て、思わず声をかける。 「どうした?」 「あ……大通りがひどいことになってて……ガダラル将軍以外はみんなあっちで、でかいトロールとやりあってます」 「今の戦力では耐えしのげなさそうか」 「無理だと思います、死んでいる奴か動けなくなってる奴ばっかりで……」 傭兵が話し終わる前に、地面が大きく揺れた。 どうやらこちらもわずかな平穏な時間は終わりを告げたらしい。まもなくここもトロールの軍勢との戦いが改めて始まることになる。向こうが目を背けたくなるほど凄惨な状況になっていたとしても、自分が向こうに行くわけにはいかない。この地響きの大きさからすると、主力のトロールがこちらに向かってきているのだろう。それを引き連れて、わざわざ向こうを追い詰めるのは悪手にすぎないのだ。 ここで自分は敵を食い止める、それが最良の手段だとわかっているが。 大通りで追い詰められつつある他の将軍たちはどうしているのか、生き延びているのか。不安が胸の中で少しずつ、ゆっくり大きくなり始める。 彼は今何を思っているだろうか。 何を思いながら戦い続けているだろうか。 あの堅物のエルヴァーンは戦い方も堅実そのものだ、よっぽどのミスがなければ周囲を生き延びさせることは十分可能だろう。自分を省みず他の人間を守ろうとする、それさえなければガダラルもこんなに気をもまなくてもすむのだが。まあ相手に言わせればガダラルの戦い方は向こう見ず極まりないらしいので、そういう面はお互い様と言うところか。 決して無理をせず、前に出ないように。 何度も何度も、戦いの度に自分にそう言い含めるある意味過保護な男のことを思い出して、わずかに苦笑が漏れる。今もきっと馬鹿正直に、兵学の教科書に載せたくなるような見事な防衛戦とやらを展開しているのだろう。 この茜色に染まる空の下、場所は離れていても同じ戦の空気の中で存在できる。 下手に帰りを待ってイライラするよりこの方がよっぽどましだと思いながら、ガダラルは周囲の傭兵に聞こえるように声を発する。 「おい貴様等、ちょっと大通りまで手伝いに行ってこい」 「はぁ? 何言ってんの」 「また捕まってもいいのかよ、やわらか将軍」 「やわらかは余計だ、この馬鹿者!」 傭兵たちの気安いからかい混じりの言葉に、その場にいる者全ての口に微笑みが浮かぶ。ザザーグの所のように一つの家族というわけではないが、ガダラルの周りの傭兵だってチームワークでは負けていない。 その証拠に、 「今俺らが行ってもあっちは立て直せないって」 「無理だと思いますよ〜」 「……貴様らは、そこまで弱かったか? もう戦えないというか? 一度戦の場についたのなら、己の命を捨てろ。すべてをこの場に費やし、生き延びてから文句は言うことだな。貴様らの命を必要としているのはここではない、わかったらさっさと行ってこい!」 「俺らがいなくなったら、将軍はどうすんのさ」 「あっちで休んでいるのがそろそろ動けるだろう……俺を生き延びさせるくらいは可能だな?」 遠くで休んでいる治癒魔法の使い手たちが、無言で立てた指を前に突き出している。 ガダラルを守るために、常に遠くから力を使い続けている存在。決して彼らを軽視せず、自分を守る存在としてしっかりと受け止めていることを傭兵たちはちゃんと知っており。だからこそガダラルの周辺の傭兵たちは一つの集団として機能する。 数は少なくとも、自分の長所を生かし切る部隊として。 「わかったって、行きゃいいんだろ」 「世話の焼けるツンバカだな……ったく」 「死んでも弔ってやんないからな」 「貴様らは相変わらず一言多いんだ。文句は帰ってきたら聞いてやる、あいつらに会わないように…………気をつけて行ってこい」 ガダラルの言葉にしっかりと頷いた傭兵たちは、一斉に移動を開始する。 近づいてくるトロールとは別の、大通りまでの一番近いルートを選んだのを確認して、ガダラルは残り少なくなった傭兵たちに再び声をかけた。 「無理はするな、トロールの目がそちらに向いたらすぐに退け。力尽きる前に、周りの奴に行ってすぐに休みを取るように」 それから、死ぬな。 と聞こえにくい小さな声で言ったつもりだったが、耳ざとい傭兵たちには丸聞こえだったようで。くすくすと笑いながらわかりましたと答えられ、恥ずかしさで顔を背けつつ。 小さく、ありがとうと呟いてみた。 巨大な槌を、細い鎌でやっとの事で受け止める。重すぎる衝撃に肩が悲鳴を上げるが、刃を滑らせることで自分を潰そうとする一撃から逃れ、振り切るときの反動を利用してなんとか横に逃げた。指先にしびれが、肩に激痛が残るが、ほのかな光がそれすらも瞬時に癒していく。 後ろを見るまでもなく、一度に襲われぬようにあらゆる方向に散らばりながら自分を守ろうと魔法を使い続ける残った傭兵たちの力だが。 徐々に、徐々に。 序盤は上手くペース配分をしていた彼らの魔法も、戦いが長引くにつれてその力を落としつつあった。ガダラル自身も、もう魔法を使う余裕もなく残るは鎌の斬撃に頼るしかない状況。まとめてやってきたトロールの数を、残り数匹にすることはできたが、あとどれだけ時間を稼ぐことができるのか。 「さっさと沈め!」 嵐のような破壊の力をかいくぐり、懐に入り刃を滑らせるが、トロールの硬い皮膚と鎧を貫くことは容易ではない。逆に隙を突かれ、体を強く打たれることの方が多いかもしれない状況。元々強固な前衛に守られ、後ろで魔法を使う事を得手とするガダラルがこういう戦いをすること自体、もうこの戦いが敗北に近づきつつある証明なのかもしれない。 鮮やかだった空の色に、夜の闇の色が混ざりつつある。 濃い紫から黒に染め上げられようとしている空を見つめ、この空の下で戦っている相棒に一瞬だけ思いをはせる。その隙をぬって襲ってくるトロールに心の中で無粋だなと毒づきつつ、左右を挟んで自分をたたきつぶそうとする影から、間一髪のところで逃げることができた。 体を無理に捻ったからか、全身がうずくように痛むが、治癒魔法が飛んでくる気配は見られない。トロールの隙を突いて後ろを確認すると、肩で息をしながらようやくのことで立っているか、倒れてしまっているか、そのどちらかであった。彼らは休めば回復するだろうが、自分はそうはいかない。 目の前には自分を殺すことしか考えていない敵がいるのだから。 だがまだ自分はまだましな方、大通りではこれ以上に絶望的な戦いが続いているはず。それを思えば、まだ耐えられる。 いや、耐えられなくてもやりぬいてみせる。 体は汗で冷え切っているのに、何故か背中だけは暖かく感じる。後ろで自分を気迫で守ろうとしてくれている傭兵たちの思い故か、それとも離れた場所で戦っている大切な存在が自分に向けてくれている思いを感じているからか。 その小さな熱が、小さく自分を守ってくれている。 振るわれる槌の一撃の余波で鎧がわずかずつ傷つけられていく。衝撃で切り裂かれる皮膚、受け止める度に動かなくなっていく四肢。大きな一撃をまだ受けておらず、時折与えられる治癒魔法の恩恵で何とか動けているが、動けなくなったときにガダラルの命は終わるだろう。 がむしゃらに鎌を振り回し、刃で、柄で、槌を受け流し。 ささくれた刃に月の光が映るようになった時、小さな悲鳴が背後から響いた。 「……畜生、抜かれたか!?」 舌打ちと共に、目の前の敵に背を向けぬようそのまま後ろに下がる。 最後の力を振り絞ってガダラルに治癒魔法をかけたミスラの少女に、今まさにトロールの槌が襲いかかる瞬間。少女を突き飛ばし、トロールの槌の眼前に立つ。 「さっさと下がれ!」 「でも!」 「邪魔だ!」 ガダラルの言葉に全てを察したのか、少女はおぼつかない足を何とか動かして更に奥へと下がっていく。どこから現れたトロールかはわからないが、どうやらまだ敵は残っていたらしい。 先程まで戦っていた敵も合流し、退路を断つために徐々に包囲の輪を狭め始めた。 自分の足音がやけに低く感じられる。そろそろ自分にとって終わりの時間が近づいてきたのだろうが、せめてこいつらをもう少し引きつけた上で、何匹か道連れにしなくては死ぬ意味もない。傭兵たちには死ぬなと散々言っておきながら、自分は命一つで敵の損害をどれだけ出すことができるかを計算し始めているのが笑えるところだが。 皇国のため、聖皇のため、そういう名目の中で、心配するのはただ一人の命だけ。 彼はまだ生きている。 空気の色が、流れる風が、彼の生存を教えてくれる。 彼もきっとそれを理解しているだろう。だから最後の一瞬まで、胸の中でただ一人の姿を思い描いて。 戦うことを選ぶ。 咳き込まないようにゆっくりと息を吸うと、己の武器を静かに構え直す。声を出す気力まで失われていても、武器の扱いは体が覚えている。 振り回される槌が、それぞれタイミングをずらして順に襲いかかってくる。それを、一つは受け止め、もう一つは体をずらして避け、最後の一つがとんでくる前に前に出て一撃喰らわせるつもりが。 一つを避けきれなかった。 左肩に槌が食い込み、肩が砕かれていく音が体全体に響く。 「っ!!」 痛みの悲鳴を無理矢理こらえるが、眼前に迫った最後の槌は間違いなくガダラルの全身を砕くだろう。背後の傭兵たちの悲鳴が恐ろしいほど間延びして聞こえる中、最後に思ったのは。 彼だけは生き延びられますように。 そんな子供じみた願いだけだった…………のだが。 「よう、少し遅くなったみたいだな」 全身を砕かれる寸前、突然方向を変えた破壊のための力が横の地面に突き刺さる。 「ザザーグ…………!?」 「大将がちょっくら出張して来いって言ってきてな、少し遅くなったがなんとかなったみてえだな」 「向こうはどうした」 「なんとかなるだろうさ、大将がやたら張り切ってるからな」 ニヤニヤ笑いながらも、構えを崩さないザザーグに敵が一斉に向き直る。 それからはもう圧倒的な殲滅戦といっても良かった、前衛にたってくれる相方さえいれば、ガダラルも傭兵たちも最大限の力を発揮できる。数体のトロールが地面に沈み、傭兵たちにガダラルの砕かれた肩を治癒する余裕ができた頃。 遠くから響く勝利の勝ちどきが、苦難の戦いが終わったことを教えてくれた。 「終わったみてえだな」 「一応礼は言っておく」 「礼なら大将に言うことだな」 休息のために、地べたに座り込んでいるガダラルの横に巨体のガルカがやってきた。どっこらしょと声を上げながら座ると、ぽんぽんとガダラルの頭に手を乗せる。まるで子供にするような動作に抗議の声をあげるようとするが、まるで子供の成長を見守る父親のようなザザーグの笑い顔に何も言えなくなってしまった。 「自分の所の傭兵をほとんどまわしただろ? 大将があれで大層感動しちまってな」 「敵が集中しているところに兵を集めるのは定石だ」 「何とかなりそうになったんで、手伝いに行ってこいとさ。愛されてるな、大将に」 「だ、誰が!」 「大将を心配する余裕があるのはいいことだがな、たまには大将に甘えてやったらどうだ?」 「気色の悪いことを言うな……」 頭を抱えるガダラルに、ザザーグは優しく語り続ける。 「甘えってのは、そんなもんじゃねえだろ。自分を信じるのもいいが、たまには相手を信じて、弱いところも見せてやれってことよ」 「…………」 「ま、今日は頑張ったみたいだからな、説教はこれくらいにしといてやるか」 「説教だったのか」 まあな、と豪快に笑い。 まだ傷の癒えきっていないガダラルの背を盛大に張り飛ばすと、痛みで硬直する頭をもう一度だけ撫でる。 「あの堅物相手じゃ大変かもしれねえがな…………幸せになんな」 一見気さくで豪快だが、繊細な心を持つガルカに言われるまでもなく幸せになるつもりだが。無言で頷いてやると、ザザーグが心底嬉しそうに微笑んだ。 もうすぐここに、彼もやってくるだろう。 自分よりもぼろぼろの姿で、傷を癒すことも後回しにして。互いに生き延びて、また二人で時間を刻んで。二人で生き延びるために、幸せになるために、できる限りの手を尽くして。 そうして生きていけたら。 楽な仕事ではないが、生と死のぎりぎりの境目にあるからこそわかることがある。まずは、彼と互いの生存を喜びあおうか。 体は傷ついても、心にある愛は傷ついていないのだから。 うちの鯖はガダラルさんが最後まで残るんですが、ほとんどの場合。 いや親衛隊の強力さには頭が下がります……その隅っこでガダラルさんにヘイストとケアルをかけるのが私の仕事です(笑) BGMとタイトルが同じなのは、お歌をネタにするシリーズとして書いております。自分内部では一応シリーズ。この曲は大好きだったので、どう書こうか真面目に頭を悩ませた記憶が。 ザザーグパパ、娘の結婚相手を渋々認める……という話ではないはずなんですが、なんかそれっぽい。ザザーグパパの立ち位置は、やっぱり娘(?)の幸せを影で願いながら、時々娘婿……っぽいのにプレッシャーをかけるくらいがちょうどいいんでしょうか? ああ、ザザーグパパぐらいなんじゃないでしょうか、マジギレしたガダラルさんをなだめられるのは。ルガさんには無理だと思う、絶対に(苦笑) BGM「AGAPE」by 岡崎律子 |