「残酷よ希望となれ」





 怖くないのですか?


 一つの国の存亡を決める戦いの中でそう尋ねてきた小さな声。攻めてきた蛮族への瞬時の対応と、周囲の耳を破るほどの気合いの声に持ち主を見失い、日をまたぐほどの苛烈な戦いを終えた後、幼い問いに答えようと探しだしてみれば。

 嫌になるほど綺麗な青い空の下、屍をさらしていた。

 タルタル並の小さな体に、誰かから譲ってもらったであろう大きすぎる鎧を身にまとい。不自然に曲がった首と潰れた上半身から流れ出た血はとっくに固まってしまい、鎧を脱がせてやることすらできなかった。時間がたちすぎてもう蘇生の魔法すら受け付けなくなった小さな体を抱き起こすことも、街の衛生上片付けるという指示を出すこともできず、呆然と潰れた顔に唯一残った口を見つめ続ける。
 そこから放たれた問いに、自分はどう答えるべきだったのだろう。
 薄いヴェールのような雲が流れ続ける中、風は優しく流れ続ける。こんな子供を戦の場に立たせた存在が誰なのか、そんなことはどうでもいい。直接的に立たせた人間よりも、いつまでたっても蛮族たちを殲滅できず、年若い人間を動員せざるを得ない状況にしてしまった存在が一番罪深いのだ。
 つまり、自分が。
 もっと生きたかっただろう、やりたいこともあっただろうと言うのは簡単だが。常に蛮族に襲われる 危険に満ちた場所で生活する現状は、希望を産むことができたのだろうか。もう物言わぬ身になってしまったこの子に聞くことはできないが、最初の問いに答えることはできる。
 怖くないわけがない。
 幼子のような蛮族に対する直接的な恐怖は、この場に立つようになってあまり感じなくなった。戦い続ければ、そんな感情は最初に麻痺してしまう。本当に怖いのは、失敗することで今の地位を失うこと、周囲からの期待を裏切ること。
 大切な存在を失うこと。
 余計なものばかり抱えるようになって、それを失うことばかり恐れる、愚かな大人になってしまっても。本当の意味で失いたくないものは、確かに存在するのだ。そしてそれが、どんな絶望の未来の中でも、己を支えてくれる。
 そうでなければ生きていけないのだ、大人なんて生き物は。
 それを伝えればこの子供が生き延びられたなんて物語のような結末は存在しない。それでも暗く悲しい未来とそれに付随する己の心で育てる希望を、最後に見せてやることはできたのではないだろうか。
 せめて手でも合わせてやろうと、残酷すぎる姿になった子供に再度目を向けようとすると、鮮やかすぎる赤が視界を塞いだ。
「こんなもの見るな」
「ガダラル……」
「さっさと解放してやれ」
 緋色のマントを少年の体に掛けてやりながら、ガダラルは静かにルガジーンを睨みつけた。それと同時に、きっぱりとした冷たすぎるほどの短い言葉が、ルガジーンを貫く。お前の中途半端な優しさなど戦場では無意味だ、そう言いたげな目。
 そのくせ、屍に触れる手は不自然なほど優しくて。
 丁重に体をくるんでやった後、ルガジーンをわざと乱暴に押しのけると、ガダラルは自らが産んだ炎を赤いマントに無言で絡ませた。
 赤い布地を、赤い炎が一気に浸食していく。
 手すら合わせず、哀悼の言葉を口にしなくても。彼の中には戦場で戦って命尽きた子供に対する鎮魂の思いが静かに燃え盛っている。遺体は灰になっても、記憶は決して消えないのだろう、そうやって彼は命を背負いながら生きてきたのだ。
 きっと今までずっと。
 周囲の空気が暖まり、全てが灰になるほど時間が過ぎてから、ようやく口を開くことができた。
「我々は……どうして戦うのだろうな」
「無駄にしないために決まってるだろう、馬鹿か貴様は」
「無駄に、しないためか……なるほど言い得て妙だ」
 小さな犠牲も、大きな犠牲も。
 無駄にせずに乗り越えていくために、無駄としか思えない戦いをひたすら続ける。後悔と怨嗟と絶望を塗り重ねて、積み上げて、その上に立って最後の時を待つのが人生というものならば。

「君と一緒ならば悪くないのかもしれないな」

 小さく、彼に聞こえないように呟く。
 良きことではなく悪いことを忘れず、決して目をそらさない彼と一緒ならば。こんな苦悩に満ちた世界でも、案外楽しく生きられるのかもしれない。
 合わせようとした手でアルゴルを握り、もう片方の手でガダラルの体を引き寄せた。
 誰かの死を悼むよりも、その手で剣を振るうこと、そして大切な人のぬくもりを確認することの方が大切なように、今は思えたから。
 
 世界は何よりも美しく、青い空は今日も澄み切っていた。














世界は綺麗だからこそ残酷で、人間がどれだけ頑張ってもどうにもならないことはあるのです。なんて考えながら書いたんですが、結局は某ゲームの発売記念SSでした(苦笑)



BGM「残酷よ希望となれ」by結城アイラ