「in Wonderland...? その4」 何が正しくて、何が間違っているのか。 怯えるような声で鳴くカーバンクルを庇うように一歩前へ進み出て、すべてを見極めるために相手をじっと見据える。今信じられるものは足元にいる小さな光と、己の目しかない。今見た光景が真実なのか、彼は本当に『彼』なのか。自分の中で渦巻く疑惑を一つずつ消していかなければ、真実にはたどりつけない。 視界を遮る霧の向こう、赤い目を輝かせたまま静かに笑う男に、あらゆる憤りを押さえながら声をぶつける。 「説明してもらおうか」 「何を?」 「ミリを……アルザビをこうした理由だ」 背後で封印の光がまた一つ消え失せていく。 残る封印は自分の中にあるものだけ。その事実が重くのしかかる中、気がついたことすべてを順に口にしていく。この状況を整理するためであり、彼が、ルガジーンがどういう意図でこんな行為を行ったかを理解するために。 「貴様は生きてるんだろうな」 「死人に気がつかないほど五蛇将は間が抜けてはいないだろう」 「封印は自ら壊したのか」 「ああ、邪魔だった」 「ザザーグとナジュリスは?」 「簡単だった」 「そうか……もう一つだけ聞かせろ」 何を? と軽く首をかしげるルガジーンに向けて、単音節の詠唱で生み出した炎をまとわりつかせた手を差し向けた。敵であって欲しくない、だが今一番敵である可能性か高い男へ向けて。 五蛇将としての炎を。 「ラミアに魂を売ったのか……貴様とあろう男がっ!!!」 指に絡みつく深紅の炎は剣の如く空へと立ち上り。 無造作にアルゴルを下に向けたまま、戦う気がないことを示すかのように手を広げたままのルガジーンに、怒りとも失望ともつかない声をぶつけるが。 「元はといえば悪いのは君だろう」 「な……んだと?」 予想だにもしなかった返答に、大きく炎が揺らぐ。 消えかけた炎を立て直そうとして、いつもより魔法の制御が楽になっていることに気がついた。アルザビを覆う結界が壊れているのだろう、きっと。通常アルザビで魔法を放つ場合は、出力を上げようとしてもそれを押さえ込むリミッターのようなものが周囲からかけられるのだが、それをわずかも感じない。久しぶりに感じる素の己の力、霧の影響で感じ取ることはできないが自分の周りの精霊たちも踊り狂っているのだろう。 できればこのまま思うがままに動きまわらせてやりたいところだが、まずはルガジーンを止めてからだ。 「くだらない言い訳はいい、さっさと理由を言え」 「そのままの君を見ているのが辛くなった、それでは駄目だろうか」 「何を訳のわからんことを」 「君が生きているだけで傷つく人間がいる、それを考えたことが?」 気色の悪いことを言うな、そう吐き捨ててルガジーンを静かに睨みつけた。 人は生きているだけで衝突し、互いに傷つく。そんなことは最初からわかっているはずなのに、この大馬鹿は何を言うのか。 「こんな時に何を言い出すのか、そう言いたげな顔だな。だが私にとっては重大なことだ、もう少しだけ話につきあってもらえるかな?」 意図のわからぬ発言に、かなり困惑した表情をしたらしい。子供をなだめるような声でそう諭され、不承不承頷いてしまったのは、もしかしたら彼の意図に自分が賛同できるのでは、そう思ってしまったからで。 羅刹とまで言われた自分が、明らかな敵が目の前にいるのに攻撃の手を止めている。それがどれだけ自分という存在を揺るがすことかわかっていても、何かが心に絡みつく、すべてを封じ込めていく。 首筋をじっとりと濡らす汗は、一体何を現しているのか。 小さく息を吸って、湧き出てくる負の感情と戦う。そんな自分の様子が面白いのか、ルガジーンの口から低い笑い声が漏れた。 「ああ失礼、君の悩む姿があまりにも愛おしいものでね」 「………………」 「君はいつもそうやって惑い、悩み、それでも己の答えを出して生きることができる。君の苦悩は人を引きつけ、君の決断は多くの者を巻き込んでいく」 「それがどうした、さっさと結論を言え」 「巻き込まれたくない、だが君を愛し続けたい。そう思う私の気持ちはどこへ行けばよかったのだろうね」 静かな、ため息。 本当に静かな、霧の海の中から届く絶望のにじむ響き。 「私は君の中にいるのだろうか、君にとって私は愛すべき存在だろうか? 君のすべてが大切だからこそ、私は君のすべてが憎い。君が欲しいのに、望むのは君が君ではなくなること……そうすれば君を恨まなくてもすむ」 何を言い出すのかと思えば、そう一笑してもいいような言葉。 だが、それは確実にガダラルの心に突き刺さった。一度粉々に打ち砕いたと言ってもいい。多分互いの心の中にずっと存在していた、だが忘れたかった。 突きつけられたくない事実。 コンプレックスといってもいいのかもしれない。 正反対の気質を持つが故に、どれだけ言葉を尽くしても、態度で示しても埋められない溝があるのは最初からわかっていた。それすら楽しめばいい、そう言う者もいるだろうがそこまで器用になれれば今こんな事になってはいないだろう。 見知らぬ誰かと親しく話す姿を見るだけでわずかに焦げる胸の奥底、冗談のようになじりあってとりあえず表面上だけでも事を納めて。己では持つことができない、互いの持つものが欲しくて、でも相手への愛おしさ故に憎むこともできず。 積み重なった愛しさと嫉妬。 それすらも人とつきあう上でのスパイスだと考えるガダラルと違い、生真面目すぎる彼は自分を擁護することもガダラルを憎むこともできず、ただ考え続けていたのだろう。 ガダラルの炎に焼かれず、側にいられる方法を。 「愛している……君のことを。だから、すべてを終わらせたい」 濁った赤い瞳からこぼれ落ちた、紅玉のような涙。 痛みを形にしたようなそれを見た瞬間、心の中で何かがはじけた。 「泣くぐらいなら、そんなくだらないを言うな! だから貴様はいつまでたっても馬鹿なんだ!」 そう罵りながら、己の胸に刺さった言葉という刺を力づくで引き抜こうとする。 綺麗すぎる思いだからこそ、簡単に染まってしまう。愛しているからこそ全てを終わらせたい、この思いが濁る前に。濁ってもいいから側にいたいと願ったガダラルとは正反対の潔さに、この男になら殺されてもいいかもしれないとほんの少しだけ考えたが。 そんな腐った考えを、一瞬のうちに叩き伏せた。 拳を強く握り込み、渾身の力でルガジーンを睨みつける。 「泣く暇があるなら、俺が貴様を殺してやる。死にたいのなら勝手に一人で死ね、俺は死ぬ気なんてない。生き延びて、貴様の馬鹿ぶりを末代まで語り続けてやる」 だから、だから。 「だがな、貴様の全てを決めるのは俺だ! 勝手に蛮族どもに捕まってのたれ死ぬことも、俺に刃を向けることも許す気はない。俺のものだという自覚があるのなら、さっさと俺のところに帰ってこい!!!」 言葉は祈りであり、祈りは世界を変える術につながる。 一言ずつ言葉を紡ぐ度に、今まで縛られ押さえ込まれ続けてきた思いが、思考が目覚めていく。これから何をすればいいのか、どう動くことが最良に繋がるのか。すさまじい勢いで最良の策を組み上げて、それを実行する方法を脳内で模索する。 それと同時に、この事態を生み出した元凶に挨拶することも忘れない。 「こいつの目を見た人間を魅了して、おまけに石化したか。こいつを使って自分は高みの見物とはいい身分だなメデューサ!」 ざわり、と霧自体が蠢いた。 地面を這い回るの蛇のように、肌をぬるりと這い回る感触に吐き気すら覚えた。ルガジーンの周りを覆う霧だけが、まるで女の腕のように、濃く強く彼を締め付けているのをちらりと見て確認し、さっさと彼から目を離す。 小さく足元で泣いたカーバンクルに頷いてやり、これ以上ないくらいの早口で詠唱を開始すると、涙を目から追い払ったルガジーンがこちらを見る前に、生み出した炎を解放した。 「ファイガ!」 「…………っ!」 直接彼には当てず、少し離れた足元にぶち込む。 途端に生まれる紅い輝きと、濛々と立ちこめる煙の中。炎を薙ぐため、そして自分を切り裂くためにアルゴルを構えたルガジーンにちらりと目線をやると、そのままカーバンクルの首元を掴んで走り出した。 強い光を放っていた赤い瞳。 涙をこぼすことによってその光を減じさせた、それ故に呪縛から逃れることができているが。あのまま見続けていればガダラルも取り込まれていた可能性が高い。アルザビを守る結界があっても魅了は恐ろしい驚異となっているというのに、結界がない今は推して知るべき。 あの炎がどれだけルガジーンを足止めしてくれるかはわからないが、少しでも時間を稼いでくれることを望んで、足を速める。 あの涙はルガジーンなりの抵抗、自分を守ろうとした気持ちの表れ。 そう思いこむことで、絶望的な状況に抗おうとする心を静かに奮い立たせた。 目的の場所につくまでに、できる限りの移動経路を潰してきた。 階段を壊し、門を使い物にならなくし。本来の目的はルガジーンの移動ルートを潰して彼の居場所を特定しやすくするためなのだが、壊したいだけ壊して多少はストレス発散になったようだ。 この抑圧された状況下、少しは楽しみがないとやってられない。 ルガダラルの壊しっぷりに恐れをなしたのか、緑色の獣が責めるような目でこちらを見上げてきた。視界の悪さは相変わらずなので、このいるだけで明るい獣がいることで助かってはいるのだが、主人と同じで良心と正義感に基づいて動いているらしい。 「心配するな、ばらまくだけばらまいてきたからな。俺がここにいることに奴が気がつくにはまだ時間がかかるだろう」 そうじゃないと言いたげに首を振る相手を無視して、作業を続行する。石壁を外し、カーバンクルの放つ光だけを頼りに、中に手を突っ込んで精緻な動きを繰り返す。 封印を内側からある程度操作するための装置。複雑な文様と埋め込まれた宝玉で作られたそれを何とか再起動させようとするが、動く気配すら感じられなかった。この結界の設置時、無理矢理手伝わされたときに覚えた緊急時の手順も、後から皇宮付きの魔術師たちに怒られそうな最悪の手段も試してみたのだが…… 「畜生……こちらからだと手が出せないか、用意周到にも程があるぞ」 アルザビには緊急時の対策のために数カ所こういうものが設置してあるが、ルガジーンの性格を考えると全て動かなくされていると考えた方がいいだろう。無理にでも起動させて、とりあえずアルザビの機能を復活させるつもりだったが、別な方法を探した方が良さそうだ。 カーバンクルを従え再度歩き出すが、脳裏に浮かぶのは先程の出来事。 愛しているからこそ終わらせてしまいたい、そう言った男の姿。 推察にしか過ぎないが、今のルガジーンはメデューサに端末として利用されている状態なのだろう。メデューサの強大な力をあまさず発揮すればアルザビを攻略することなど児戯にも等しいはずだが、結界に阻まれ何度も阻止されてきている。更に首尾良く魔笛を奪うことができても、傭兵たちにすぐ奪還される始末。そんなことが何度も続けば、メデューサも別の手を考えてくるはずだ。 外から攻めて駄目ならば、内側からアルザビを制圧すればいい。 そのためにルガジーンの精神を乗っ取り、こんな大がかりなアルザビ崩壊劇を演出したのだろう。結界を無効化し、五蛇将の命を奪い。魔笛を奪っても取り戻しに来ることができないほどの打撃を与え、その上自分たちの受ける打撃はゼロに近い、最高の手段。 唯一の誤算があったとすれば、ルガジーンの精神力が強すぎたこと。その証拠に、ガダラルがこなければ簡単に魔笛を奪えた状況であったというのに、ルガジーンはガダラルの来訪を望み、迎えに行くつもりだったという発言まで残している。メデューサの支配を越えた何かが彼の中にあり、それが今でも戦いを繰り広げているとすれば。 引きはがせば、こちらに勝ち目がある。 「ミリの奴……さっさと生き返ってこっちに来い」 無理だとわかっていてもそうぼやいてしまう。 あの陽気で子供っぽい癖に妙なところで繊細なミスラがいれば、この状態で最良の手段が使えたのだが。さすがに一人であれは荷が重い上に、下手すれば自分の命すら簡単に消え去ってしまう。 命をかけることに怯えているわけではないが、分が悪すぎる賭けに高いものを賭けるつもりにはならない。この命はまだまだ使えるものであり、しなければならないこともまだたくさんある。 だが。 そのしなければならないことは誰のため、なのだろうか。 先程霧の中で浮かんだ、しかし無理矢理追い払った言葉。 自分で助けに行けるものなら、助けに行くものを。 深入りしたくないだの、死んだら忘れてやるだの。日頃そう決めていたはずなのに、いざ目の前にいるのに救えない状況になってしまえば、そんなことを考え始めてしまう。自分を守ることを優先させ、彼のことは二の次にするそう決めていた自分が、どこで狂ってしまったのだろう。 こんな綺麗すぎる思いを持ち続けたくはなかったのに。 一番簡単な解決法はルガジーンを殺すこと、一度深く浸食された彼の心からメデューサを完全に引きはがすことは不可能に近い。いや、先程から何度もその方法を実行しろと、己の内側の声が叫び続けている。 たった一つだけの、命を賭ける彼を救う方法を。 下を見れば、主人のために全てを投げ打とうとする小さな獣。 「貴様は……怖くないのか?」 小さな声でそう聞くと、立ち止まることなく誇らしげに頭を振った。 頭に揺れる赤いリボン、常に綺麗に梳かれている綺麗な毛並み。自分の全身全てが主の愛の証であり、それ故己を誇る気高い獣の自信に満ちあふれた姿に、足りないものを理解したような気がした。 守ろうとする、そして受け入れようとする覚悟。 一線を引こうとした自分と、更に内側に入りたいと望んだルガジーンと。互いのすれ違いが招く結果がこれだとしたら、終極へ向かう前に止めることができるはずだ。少なくとも、この事態を彼も自分も望んではいなかった。 命を賭けろというのなら、命を賭けてやろう。 欲しいものがあるというのなら、全て捧げてやる。 だから、どうか彼だけは。 「ったく、しょうがない……」 この命、あいつに貸してやるか。 小さな声は霧の中にすぐ溶けたが、その声が灯した心の炎は静かに燃え盛り始めていた。 ようやくここまで終了。 後半からガダラルさんの逆襲編が始まります、ぼこにされるルガジーンさんにご期待ください(笑) いや、嘘だけど。 次で終わるさ〜と適当に考えていたのですが、すっごく長くなってしまいました。奈落の花を聞きながらかいたので、精神的にオートリバース状態になって「き、きもちわるい〜」とメッセで愚痴りながら書いていたのがいい思い出……なのかなあ? BGM「奈落の花」 by 島みやえい子 |