「in Wonderland...?    その3」














 久しぶりも、会いたかったもなかった。

 ただ淡々と今の状況を報告し、相手もそれをうなずきながら聞き。多少やつれたようだが、自分のように死を覚悟する程痛めつけられたり、余計な病を貰ったりはしなかったらしい。いつものように穏やかに笑ってすぐに復帰すると言ったときはさすがにその場にいた人間全員で止めたが、頑固な彼は結局自分の意見を押し通した。
 そうしてまた夜空の下。
 いつもと同じ場所で、蛮族の来襲に備えて夜通し見張りを続けるのだろう。
あの頑固者が言うこともやることも予想がついていたので強く止めることはしなかったが、さすがに大人しく家に帰る気にはなれなかった。彼が復帰したことで今日の仕事がなくなり、ぽっかりと空いてしまった時間を、街をふらふらとさまようことで埋めることにする。
 重くて派手な装備を脱ぎ捨て、五蛇将とわからぬようにしているつもりなのだが、なじみの傭兵たちからは、からかい半分好奇心半分で声をよくかけられる。馴染みやすい将だとよく言われる反面、権威や威圧感とはまるで無縁なのだろう、悪い意味で。
 自分たちに頼るだけ頼るくせに威張り散らしたり、こちらを下手に気遣ってくる将軍よりずっといいと、昔ある傭兵に言われたことがある。それでも人の上に立つのなら、ある程度下の者へ配慮する必要はあるはずなのだ。上手く兵を使いこなしてこそ将だというのなら、自分に将たる資格はない。目の前で部下を失うのは勘弁願いたいが、それ以上にろくに顔も知らない存在が勝手に死んでいく方が耐えられない。

 覚えていてやることも、忘れてやることもできないのだから。

 だから傭兵は嫌いなのだが、傭兵たちの方は予想以上にガダラルのことを好いてくれているようだった。面倒だの手間がかかるだの口先では散々文句を言うが、そのくせ蛮族が攻めてくると真っ先に自分のところへやってくる。顔見知りの傭兵も増え、悪口の応酬にしか見えない気楽な軽口もたたき合えるようになっていた。一度それを見たルガジーンに羨ましいと言われたことがあったが、そういえば彼のところにいる傭兵はあまり喋らなかったような気もする。
 ついてこようとする傭兵たちを適当にあしらいつつ、適当にその辺の露天で串焼きを買い、歩きながら一口囓った。ひやりとする風に体温を奪われつつある体を、囓るだけで肉汁があふれる串焼きが程よく温めてくれる。
 アルザビと白門をつなぐこの広場は、人も多いが行き交う人たちを目当てにした露天などの類も数え切れないほどあった。魔法による鮮やかな明かりがあちこちに灯り、夜だというのに物を見ることに不自由することがない故、見えなくてもいい物も見えてしまう。 すり切れた衣服を着た物乞いたちや、滑稽な衣装を着た大道芸人。
 同じ石畳の上にいるというのに、そのあり方はあまりにも違う。人を楽しませるために生きる存在と、生き残ることしか考えていない存在。様々な物や人生がここで交錯し、あらゆる場所へ流れていく。
 まあまだここに活気がある限りは皇国も無事なのだろう、少なくともここには生きている存在の息吹だけは満ちあふれている。オートマトンだろうが獣人だろうが、普通に闊歩している大通り。そろそろ1本目の串焼きを食べ終わろうとしていたガダラルの足にぶつかったのは、緑色にほのかに光り輝く小さな獣だった。
 あまり召喚の魔法が発展してこなかったアトルガンでは、あまり見かけない存在だったカーバンクル。傭兵たちが渡ってくるようになってからは街中を走り回る姿をよく見かけるが、こんなに焦って走っている姿を見るのは初めてだった。
「貴様は確か……」
 カーバンクルが可愛いと言って常に連れて歩いている召喚士はたくさんいるが、頭頂部に赤いリボンをつけているカーバンクルは、今まで1匹しか見たことがなかった。ぶつかったことを謝りもせず(獣なのでしゃべれないのだが)、走り去ろうと足元に力をためている緑色の体を首を掴んで持ち上げると、しげしげとその姿を検分する。
 やはり、馴染みの傭兵の連れているものに間違いなかった。
 じたばたと首元を捕まれたままもがくカーバンクル、その腹に赤い血のかたまりがこびりつき、足の裏に赤茶けた汚れがついていなければすぐに離してやったのだが。尋常ではないカーバンクルの慌てぶりは、主人かその仲間に何かあったことを如実に表現していた。
 多分、命の危機に近い程の。
「主人はどこにいる? 案内しろ」
 確か、おっとりとしたヒュームの女性だったはずだ。
 カーバンクルを大事にするあまり、リボンをつけたり毛を梳いたりする姿をよく傭兵仲間にからかわれていた。怪我をしても気にもとめないガダラルに治癒魔法をかけながら、体は大事にしてくださいねとよく言ってくれるのも彼女の生来の優しさ故だろう。
 カーバンクルが消えていないと言うことは、主人はまだ死んでいない。
 小さな思い出の積み重ねがかけがえのない記憶になるというのなら。まだ良き記憶になっているわけではない彼女との思い出を、ここで終わらせる気はなかった。一度関わった者を、目の届かない場所で死なせる気はない。
「心配するな、できる限りのことはしてやる」
 小さくカーバンクルに囁くと、小さな獣は体の動きを止め、小さなルビー色の瞳でガダラルをじっと見つめ。

 ついてきてくれとでも言うかのように、首を来た方角へ向けた。

 アルザビを覆う堅牢な壁がカーバンクルの視線を受け止める。
 夜になると警備上の都合で人の行き来が極端に少なくなるアルザビで、何かが起こっているのか。そうであれば、今日仕事に復帰したばかりのルガジーンにも巻きこまれている可能性がある。普段なら全く心配することはないのだが、今日の彼はまだ本調子ではない。他の五蛇将も今日は見張りの任務に就いているが、非常事態の場合ルガジーンをフォローしきれるかどうか。
 一瞬だけ装備を取りに戻ろうかと考えたが、あの慌てぶりから考えると時間の余裕はほとんどないはず。どうか、今の装備で対応しきれる事態であるように。そう心の底で小さく願うと、地面におろした瞬間すさまじい勢いで元来た方向へ向かっていくカーバンクルを、かなりの早足で追いかけ始めた。












 すべてが白に浸食され尽くしていた。
 全身が湿るのではないかと思わされるほどの濃厚な霧が、アルザビ全体に満ちているのだろう。あくまでも仮定しかできないのは、あまりの霧の深さに視界が著しく制限されてしまっているからで。先導してくれているカーバンクルの放つほのかな光だけが頼りという状態だが、ここで不用心に明かりを灯す気にはならなかった。
 周囲の状況に細心の注意を払いながら、音を立てぬよう足を進める。
 音もなく、明かりもない、人の気配など最初から感じられない。これが本当にアルザビなのか。一瞬疑ってみたが独特の石畳の感触や、傭兵たちが気まぐれで彫り込んだ壁の落書きなどを見間違える訳がなかった。
「ちょっと待て」
 先を焦るカーバンクルを小さな声で制止し、目を閉じて静かに呼吸を整える。
 世界を動かすために常に踊り続ける精霊たちや、それを一定の法則で望むがままに動かす魔法の力。それを関知するために、己の意志をゆるりと周囲へ広げていく。
 命の息吹。
 動き。
 何一つ見逃すまいと鋭くとがらせた意識にも、何も引っかかってくるものはない。生命の死滅した砂漠よりも更に悪い、一切の静寂と無がここにはあった。この場にいる人間が全部死滅したのかと一瞬最悪の想像をしかけるが、それとは別の疑念が浮かびカーバンクルを自分の足元に呼び寄せる。
 腰を落として頭を撫でてやるが、手に触れているカーバンクルの存在すら読み取ることができない事に気がつき、この霧の正体をなんとなくだが理解することができた。
「隠蔽と遮断といったところか……先を急いだ方が良さそうだな」
 途端に先を急ぎ出すカーバンクルについていきながら、簡素なローブだけの自分の装備と心構えを本気で呪う。多分これはこの空間にいる存在を閉じこめるための檻であり、互いの連携をとりにくくするための大がかりな罠。互いの魔力や存在を察知できなければ協力して戦うこともできず、それ以前にこの霧では視界が極端に制限され、通常の戦いすら困難となる。
 そして多分、一度入れば出ることはできないだろう。
 緊急事態なので今更戻るつもりはないが、この状況でどこまでできるか。まずはカーバンクルの主人を助けてから、他の五蛇将を探すか、この霧を追い払う術を探すべきだろうと今後の方針を決めていると、悲鳴にも近いカーバンクルの鳴き声が。
 主人がいたかとその方角に向けて足を進めようとし……
「これは…………」
 二の句を告げることができず、ただその場に立ちつくす。
 悲しげなカーバンクルの声から最悪の事態を推察していたのだが、これはそれをこえているともいえた。主人であったものにぴったりと寄り添い、小さく泣き続けるカーバンクルを抱き上げて腕の中に納め、それを痛ましげな目で見つめる。

 本来は心優しい女性であった、石の像。

 彼女の仲間であっただろう存在も、周辺で驚きの表情のまま体を石へと変じており。どれだけこの事態が突発的なものであったか、誰もが対処できなかったことを表現し尽くしていた。
 通常の石化なら白魔導士ならば解くことができるだろうが、どうもこの石化は他に原因があるような気がしてならなかい。時間をかけて調べたいところだが、この霧の中では時間をかけても成果は上がらないだろうとそれに関してはすっぱりあきらめ、女性であった石の塊に手を伸ばす。
 ざらざらとした、滑らかな曲線を持つ頬。
 前足を出してガダラルと同じように主人の頬を撫でるカーバンクルに少し心を癒されたが、ここで止まっているわけにはいかない。石化なんていう手間のかかる大がかりな手を使ってくる存在なんて、ガダラルにはたった一つしか思いつかなかった。口にするのも嫌になるほど何度も戦い、時には苦汁をなめさせられた相手だ。こちらが終わりのない防衛戦を続けることを望んでも、戦力を消耗するだけの不毛な戦いをさっさと終わらせたいというのが向こうの本音で今回こんな手を使ってきた理由だろう。
 さて、あのお人好しの天蛇将は今何をしているのだろうか。
 どこかで無駄に人助けをして怪我をしてないだろうか、それ以前にさっさと石になってるんじゃないだろうか、心配の種は尽きないの。だが、どんなことになっても死んではいない、そんな確信に近いものが心の中にはある。少なくとも捕まって自分で助けに行けないよりはずっといい……そう考えたところで、ふと一つの疑惑が浮かぶがそれは無理矢理心の奥底に押し込める。
 そんなことを考えている余裕はない、今は。
「おい、貴様はどうするんだ? 俺はこれからこの元を潰しにいくが、貴様にそれにつきあう義務はない」
 ガダラルの腕の中で大人しくしていたカーバンクルは、その言葉を聞くやいなやガダラルの頬に体をすり寄せ、己を誇るかのように小さく、だがしっかりと肯定の意志を示した。
 主のために、己も戦うという意志を。
 ぽんと緑色に光る頭を撫でてやると、嬉しそうに頬をなめてきたカーバンクルに苦笑しながら、とりあえずこの場から離れることにした。次に目指すのはここから一番近く、有事の時に一番狙われる魔笛の安置場所。そこなら他の五蛇将や傭兵たちにに出会える可能性も高く、この異常の真相もつかめるだろう。
 ガダラルのための生きた明かりになるためか、腕の中から抜け出し横について歩くようになったカーバンクルのおかげで、視界が多少開けてきた。見たくないような光景しか見えないのが難点だが、見えないよりはまだましだと思いこむ。

 石柱となった傭兵たち。

 床にまき散らされた血の跡。

 そのくせ石畳に損傷はなく、完全に隙を突かれた奇襲だったことがわかる。カーバンクルの主たちも驚きの表情のまま石化していることから考えると、歴戦の傭兵すら対応に困る事態だったようだが。これだけの数の人間が一気に石化するような事態を、こんなに簡単に作り上げる事ができたのはどうしてだろうか?
 白と静寂に包まれた空間を呼吸すら押し殺して歩きながら、いつでも呪文は唱えることができるように、精神を鋭く尖らせておく。この霧の中に何が潜んでいるのか、もしくは霧自体が最大の敵なのかすらわからぬ状況だ。
 気をつけておくにこしたことはないだろう。
 濃密な霧に煮込まれているような気分になりながら、ようやく魔笛を納めている扉の前にたどり着く。ここにも満ちている静寂と、石と化した見張りの兵士たち。封印を守ろうと最後まで扉の前に居続けた兵士たちに目線でねぎらいを送ると、まだ開いていない扉に無言で手を当てた。
 数語からなる確認用の呪文を唱えると、残っている封印の数だけ紋章がぼんやりと浮かび上がる。

 2つ。

 3人はこの街のどこかでもう封印を奪われているが、まだ魔笛は奪われていない。それはこの状況の中での救いであったが、はたして誰がこの霧の海に沈んだのか。
 彼は生き延びているのか。
 胸の中で徐々にふくらんでいく不安と絶望。将としての使命感でそれを押さえ込むと、極度の緊張状態が続いていた体を少し落ち着かせるため、大きく息を吸い込んだ。
 そこに、救いのような明るい声。
「あっ、ガダラル〜! 来てくれたんだ!」
「ミリ……貴様か…………」
「なにさ、ボクじゃダメだったわけ?」
「そうではないがな」
 短く答えると、声の方へ足を向ける。
 まだ姿は見えないが、アミール装束独特の鮮やかな色合いだけは霧の間から透けて見えた。周囲に人を連れている様子ではなさそうだ。彼女もこの状況で一人、孤独な戦いを行っていたのだろう。
「とにかく状況を説明しろ」
「えっと、急に霧が出てきて……おかしいなと思ってボク、どこから霧が出ているのか様子を見に行って貰ったんだけど、誰も帰ってこなくて」
「石化はどうにかなりそうか?」
「ダメだった、普通の石化じゃないみたい。ガダラルは扉の確認したんだよね、みんなは大丈夫?」
「残ってるのは貴様と俺だけだ、封印が残り二つ。他の奴らはやられたと思った方がいい」
 足早に近づきながら、互いに今の状況を伝え合う。
 白魔導士と黒魔導士という後衛コンビが残ってしまったのは、不幸としかいいようがない。魔法を詠唱する時間を稼いでくれる前衛がいないと、どれだけ強い魔法を放つことができても単なる宝の持ち腐れでしかない。こういう最悪の状況をひっくり返す方法はいくつかあるが、色々な意味でこちらにとってリスクの高い手しか残ってない。
 それでもやらなければならない、こうなってしまえば。
 心配そうに体をすり寄せてくるカーバンクルに頷いてやりながら、この状況で使える手を脳内でリストアップし始める。一人だと無理な手が多いが、ミリがいればなんとかなるだろう。
 とりあえず最初に打てる手を伝えようと、階段を下りてくるミリに声をかけようとした瞬間、ミリの口から出た言葉。
 それがガダラルの対応を遅らせた。
「え、二人?」
「俺と貴様なら二人だろうが、数も数えられなくなったか」
「数が数えられないのはガダラルの方でしょ、だってここに」

 首をかしげるミリの後ろにいる人影に気がつかなかった。

 この極限の状況で何故明るさを失わないのか、それを考えなかった。

「ミリ、そいつから離れろっ!!!」
「え、何言ってんの……」
 ようやく姿を肉眼で確認することができたミリと、その肩に置かれた手。
 ゆっくりとゆっくりと、ミリの腹から生えてくる二つの刃を合わせた独特の形の剣。何が起こったのかもわからぬまま、刃に貫かれる苦痛に身を任せるしかないミリの顔に浮かんだのは。

 驚きと、苦痛。

 そして絶望。

 アミール装束よりも遙かに赤い、鮮やかな血がミリの腹を見る間に染めていく。びくりと大きく痙攣し、後ろから抱き留めてくる手に体を預けた小柄な少女の首が、無言でかくりと落ちた。
 何が起こったのかわからない、いやわかりたくない。
 助けに走っていかなければならないのに止まってしまった足、自分の額から伝う汗だけが、これが夢でも何でもないことを教えてくれる。
 背後からミリを刺し貫き、そして今無造作に引き抜いた剣を振るったのは。
「もう少ししたら迎えに行くつもりだったが、自分から来てくれるとは思わなかったよ」
「俺も来たくはなかったがな」
「そんなことを言わないでくれ、あとは君だけなのだから」
 子供のように無邪気な、ガダラルが惹かれた笑顔。
 まだ彼の腕の中にある血にまみれた動かないミリの体。柔らかいその体を無造作に床にうち捨てると、含み笑いをもらしながらゆっくりと階段を下りてきた。
「会いたかったよ、君に」
 赤銅色に輝く瞳でこちらを見据え、笑う姿はいつもの彼のままで。


「ルガジーン……」


 自分の唇が紡いだのが別の者の名前であって欲しい。そんな願いもむなしく、五蛇将の要である長身のエルヴァーンは高価な宝石でも眺めるような目線をガダラルに向けてきた。

















 3の後半につなげるために、2の後半をばっさりカットしました。そうじゃないと、色々自分で突っ込み入れたくなるので……

さて、緑色のちびウサギ(ではないけど)に導かれて、不思議の国のガダラルさんがスタートです、ようやく。
3のラストのこれがばれないように、2の後半をばっさりカットしたんですが、やっぱりこれってミリが裏主人公ということでいいんでしょうか? 私ナジュリス派だったはずなんだけどな〜、この猫さんは本当に書きやすいです。

 で、ここから大して書き込んでもいないのに長くなるという異常事態に突入(苦笑) 短くしなきゃ〜とわたわたする日々が始まっております。

BGM「禁断のパンセ」 by 石塚早織