「in Wonderland...? その2」 日々はただ静かに過ぎる。 五蛇将のまとめ役であるルガジーンを欠いて一月あまりが経過したが、それで特別何かが変わるわけでもない。いつものように兵と訓練を行い、煩雑な書類仕事をこなし、家に帰って安らいで眠る。蛮族の襲撃に備えて、己を常に万全の状態に保つのは、最低限の義務。 体もとりあえず公務をこなせるほどには回復したころには、すっかり外の気温が下がっており、あわてて家の冬支度をすることになったのは誤算だったが、それ以外は特に困っていることはない。 と何度も言っているのだが。 「ルガジーンがいないと、ガダラルが落ち着かなくて困るわ」 「だよね〜 始末書書かないガダラルなんておかしいよ」 「しつこすぎるぞ」 「だって、ねえ?」 「この一月、始末書の類を一枚も書いてないでしょう? 今までそんなこと一度もなかったのに、訓練の時も兵に優しいそうじゃないの」 「まだ本調子じゃないだけだ」 ふわりと笑ったナジュリスが、カップを口元に運ぶ。 たまった書類を共同で片付けるために、詰所で五蛇将全員が集まるのはよくあることなのだが。いつもなら言葉尻をとってすぐに噛みついてくるミリも、それを優しくなだめるナジュリスも、なぜか今日は必要以上にガダラルに優しい眼差しで話しかけてくる。 たぱたぱとお茶に果実酒を多量に注ぎ込んでいるザザーグも、その眼差しは過剰に優しく。お茶の時間を酒の時間に変えてしまうザザーグのために今日の茶菓子はミートパイにしてきたのだが、甘ったるい砂糖菓子にしてやれば良かったと後悔しきりである。 まあつまり『ルガジーンがいなくて寂しがっている』と思われているということで。 ここで違うと騒いでも逆に同情を集めるだけなので何も言い返さないようにしているが、さすがに我慢の限界が近づいてきている。 「ま、ルガジーンのことだ、ひょっこり帰ってくるだろうさ」 「うん、悪運強いのがルガジーンのすごいところだしね。気がついたらいなくなってるけど、ちゃんと帰ってくるし」 一応リーダーなのに放し飼いにしている猫並みの扱い、それがルガジーン。 アクの強いこの面子をまとめるには、彼ぐらい度量が広く忍耐力に優れた者でなければならない。だからこそ彼が天蛇将なのだが、もう少し大事にしてやっても……とそこまで考えて、ふと書類から顔を上げると目の前に差し出されたのは一枚の紙。 と、その持ち主のニヤニヤ笑うミリの顔。 「寂しいなら寂しいって言えばいいのに」 「だからっ! 何がどうなったらそういう結論になる!」 「大人しいガダラルなんてガダラルじゃないよ、ガダラルはもっとこう……墨って言われるほどばかすか魔法を撃ったり、傭兵たちを魔法に巻き込んで怒られたりしないと」 「貴様は俺のことをそんな目で見ていたのか……」 まあね、と笑うミリから紙をもぎ取り、ささっとチェックしてサインをしてから彼女に返してやる。書類の日付から推察すると、かなりの間放置していた書類らしい。ルガジーンが帰ってくる前に処理しておこうという魂胆が見え見えだが、この場にいる全員が同じ状態なので、互いを責めることができない状況だった。 ルガジーンが発見されてこれから救出するという一報が傭兵から届いたのがつい先程。 彼がいない間にため込んでおいた書類を帰ってきて怒られる前に片付けようと、利害が一致して集まったのはいいのだが、ここまでルガジーンネタでいじられ続けるとは思わなかった。 ガダラルとルガジーンは五蛇将では最初からのつきあいだから仲が良く、暴れるガダラルをフォローするのがルガジーンの役目、というのが一般的な見解であるが。つきあいの長くなる他の五蛇将からみると、その見解はかなり違っているらしい。 「基本的にルガジーンがガダラルに依存しているのよ」 「あ、ボクもそう思う! ルガジーンってガダラルの世話してるときが一番楽しそうだもん」 「あまり良くない依存だとは思うけど……ルガジーンは誰かを守ってないと落ち着かない性分なんでしょうね」 「なんてたってナイト様だからな、あいつは」 豪快に笑うザザーグに、全員の仕事の手が止まる。 依存というと聞こえが悪いが、誰か一人を守りぬきたいという純粋な思い故なので、悪く言う人間はあまりいない。それでも多分、この場にいる全員の中に小さな暗い疑惑のようなものが存在しているのは事実だった。 今のような綺麗な依存ではなく、醜い執着に変わることがあったら? 同じことに思い当たったのだろう、しばらくの間沈黙が続く。書類どうしがこすれ合う音、書き付ける音、それだけが広いとは言いがたい室内にゆっくり広がっていった。 「ねえ……聞いてもいい?」 沈黙を破ったのは、小さなミリの声。 「なんだ? 日付の書き直しは手伝わんぞ」 「そうじゃなくて……えっと……ガダラルはルガジーンのこと好きなんだよね?」 「…………何を聞いてくるかと思えば、くだらないことを言うな」 「そういう意味で聞いてるんじゃないんだってば」 どういう意味かは言わず、ミリは頬をふくらませながらこちらを睨みつけてきた。 「ボクもどういえばいいのかわかんないんだけど、ガダラルはルガジーンのこと信じたり頼ったりしてるのかなって」 「ミリ」 鋭いナジュリスの制止が入るが、ミリはそれを無視して言葉をつなげる。 「大事な友達なんだよね? いなくなって不安じゃないの? ボク、さっきルガジーンが見つかったって知らせが入るまで、不安でしょうがなかったのに。なのにガダラルは真面目に仕事してるし、全然ルガジーンのことなんて気にしてないみたいな感じがしたからボク、わざとからかったのに……」 だんだん小さくなる声、自分でも何を伝えたいのかわからなくなってきたのだろう。下を向いて小さく息を吐くミリの肩にそっと手を置いたのは、笑顔を絶やさないザザーグだった。 「なに、もうすぐ奴さんも帰ってくるんだ、聞きたいなら二人そろってから聞けばいいじゃねえか」 「ザザーグ……」 「男同士の関係なんてやつは、女にゃわかりにくいかもしれねえがな、複雑なようで案外簡単なモンなんだよ」 「そ、そうなの?」 しっかりと頷くとミリの頭をかき回すように撫で、ガダラルにも滅多に見せない優しい笑い顔を向けてくる。それが彼なりの自分に対する友情なのだとわかっているから、ガダラルも軽く指を立てて彼への礼へとかえた。 「本当に、しょうがないわね……」 そんなナジュリスの言葉が、今のすべてを象徴している。 誰から見ても自分たちの関係は不安定極まりなく見えるのだろう、様々な意味で。ルガジーンの依存に近い愛情、それをどう受け入れていいかわからない自分の不確かさ、近い人間にはすべて見抜かれているというところか。大雑把なようで、その実かなり繊細なミリだからこそ、それを見ていることに耐えられなくなったといったところか。 分析はできても、自分の内側から答えが出てくることはない。 何もせず寝ていたら答えが出るかと思ったが、逆に脳裏をよぎるのは捕まったどこぞの馬鹿のことばかり。ラミアの大群に囲まれていつの間にかいなくなっていたというのだから、本当に救いようのない馬鹿だというか、うっかりもいい加減にしろというか。 罵っているうちに体はすっかり復調して、それでも彼は帰ってこなかった。 最初は散々心の中で罵ってやった。人の髪を持って行って捕まるな、というかおまえが捕まってどうする、さっさと帰ってこい、等々。 何度も何度も、言いたいだけ言って。 ふと気がついたら何も感じなくなっていた。待つことに、信じることに耐えられなくなったのだろう。彼に関して考えることを、体も心も拒否するようになっていた。きっとこれから何度も同じ思いをするであろうし、彼にも同じ思いを味あわせることになるのだからそうなって当然だ。 どちらかの命が絶えるまで、それは続くのだから。 そこまで考えて、ぞっとした。 だからこそ、彼に深入りしたくないのだと気がつかされたから。 一定のラインからは出ず、出そうになったときは自制して思いを無理矢理押し込める。己を麻痺させてでも自分を守ることを選択し、相手のことは考えない。憎みたくなるほどの浅ましく、呪いたくなるほどの愚かな自分に吐き気がする。 そんな自分が何を望んでいいと? 帰ってくると聞いて嬉しくなかったわけがない。だが気がついてしまった今、彼とどうやって顔を合わせればいいのだろうか。 「もうザザーグ! そういうこと言わないでよ〜」 みんなの気分を盛り上げるためだろう、ザザーグがわざとらしいほど大きな声でおどけて、それにミリが大きな笑い声を上げている。変わらぬように、変えぬように接してくれる彼らの態度はありがたかったが、そろそろ決着をつけなくてはいけないのだろう。 ばれぬように小さくため息をつき、仕事を続けながら賑やかな会話に加わることにする。これ以上心配をかける着もないし、何より考え続けることがいい解決策を生まないということは、今までの経験でわかりすぎていたから。 きりりと、体の奥底が小さく痛んだ気がした。 タイトルでわかると思いますが、プロットの段階でのコードネームは「不思議の国のガダラルさん」でした(苦笑) あんまし不思議じゃない上に、こんな書類仕事してるアリスはやだと思った。 BGM「愛しいかけら」 by メロキュア |