「in Wonderland...?」 1 きれいはきたない。 きたないはきれい。 ならば。 その先にあるものは? わずかに薬草の匂いのする、暖かい色調で統一された柔らかい雰囲気の室内。外の光をふんだんに取り入れることができるように効率的に配置された窓からは、優しい光が止めどなく差し込み。 そして目の前には見た目や味の前に、栄養と取り込みやすさだけを考えた食事が並んでいる。熱すぎず冷たすぎず、小さく湯気が立ち上っている程度に調整してあるところが、また屈辱感を倍増させてくれるというか。 「病人扱いもいい加減にしろ……」 「それよりも悪いと思うが、今の君の状態は」 「こんなもの戦場に出ればさっさと治る」 「治らないからここにいるんだろう? 少しはおとなしく体を治すことに専念してくれ、ガダラル」 付き添いのお約束なのか、柔和な笑顔で果物の皮を剥き続けるルガジーンを強く睨みつけようとする。が、弱り切った体とわずかにうるんだ瞳では逆に何かを懇願しているかのようで、妙に庇護欲をそそるというか。とりあえず出された物は口に入れておこうとベッドの上で体を起こすと、すぐに肩をくるむように病衣の上から厚めの布がかけられた。 「もしかして、食べさせて欲しいのか?」 「気色悪いことを言う…………っ!」 何かを勘違いしたルガジーンを怒鳴りつけようとして、とたんに強い咳き込みにおそわれる。内臓が内側から締め付けられるような痛みに顔をしかめると、タイミング良く彼の手が背中に添えられた。 暖かい手が背を優しくさすられるうちに、呼吸が徐々に落ち着いてくる。 先日の市街戦の際、いつものごとく突出しすぎて、蛮族たちに捕虜として捕まったのがことの始まり。数日後に救出隊がやってきたが、弱り切っていた体は風土病というありがたすぎるお土産まで持ち帰ってきてくれた。 体力的に衰えていなければ感染すらしない病だが、念のためと言うことで皇宮に併設された治療院に無理矢理連れて行かれて数日。入れ替わり立ち替わり見舞いが来るので退屈はしないが、何も考えずに体を癒すことだけに専念しなければならない状況に嫌気がさしているのも事実だった。 普段は自分に対して言いたい放題言ってくる人間が、そろいもそろって体を大事にだの、早く元気になれだの言ってくるのがまず気に入らない。その筆頭がかいがいしく自分の世話を焼くルガジーンなので、ガダラルの鬱屈はすべて彼に向くことになるのだが、そこはルガジーンも慣れたもの。 というのがいつものパターンなのだが、今日は勝手が少し違った。 「気色悪い目でこっちを見るな、さっきから鬱陶しいにも程がある」 「…………先程来ていた男は、本当に昔の部下なんだな」 「何度言えば気が済む、東部の頃の部下だ。今は皇宮勤めなので、様子を見に来たんだろう」 「もう何度か姿を見かけているが……」 ねちねちと隙を見ては何度も同じことを聞いてくる姿は、浮気を疑う新婚の夫の如し。 昔の部下と久しぶりに再会して交流を深めているだけだというのがガダラルの意見なのだが、相手にとってはかなりの重要問題だったらしく。にっこり笑ってこちらの機嫌をとろうとしていたと思えば、いきなりいじけ出したりと、扱いにくいことこの上ない。 今も綺麗に皮を剥いた果物を皿の上で細かく切り刻んでおり。こういう精神状態の人間に刃物を持たせて大丈夫なのだろうか、それ以前に自分はすごく危険な状態にいるのではと丸腰の状態の上に鎧下すら着ていない自分の安を危ぶんだりしているのだが。 それ以上に、この男にも嫉妬という感情があったのかと小さく驚いている自分がいる。 礼儀正しく、悪や不正を憎み。正しい、あるべき強き将の理想像を体現しているような男が、たかが見舞客一人でここまで右往左往する。そこまで彼を狂わせたのは自分なのか、時折自問自答することがあるが、まだ結論は出ていない。 何が彼を変えたのか、変えていくのか。 そして、自分もこれから更に変わっていくのか。 少なくとも、前の自分はおとなしくこんなところに入れられる人間ではなかった。見舞客を逆に気遣う余裕なんて持てなかった、誰か一人が側にいることで落ち着くなんて考えもしなかった。 変わっていくということが、互いにどういう影響を与えるのか。 はたしてこの先に待っているのは互いの破滅か、それとも。まあ、これから何が起ころうとも自分はともかく、この男の強さとそれと相反するかのように心の奥底にひっそりと存在する純粋さは、決して失われることはないだろう。 自分とどう相対していいのかわからないのだろう。まだ果物を細切れにし続けているルガジーンの姿がおかしく、自然と口元に笑みが浮かぶ。 「馬鹿もいい加減にしろ、食えなくなるだろうが」 「君に馬鹿と言われたくない、あの状況では傭兵に前を任せるべきだっただろうに」 「それで被害を増やすのか、あの場には戦える者がほとんどいなかった。回復するまで、時間を稼ぐ必要があっただけだ」 「君にはまず、五蛇将としての自覚を持ってもらう必要があるみたいだな。傭兵を大事に使うことも必要だが、君の身は傭兵たちの命とは代えられない」 「その言葉、そっくり貴様に返してやる」 一瞬の静寂の後、互いの口から小さな笑い声。 言いたいことを言い合えば、わだかまりなんてあっという間に溶けてしまう。そういう感覚が心地よくて彼の側にいるのだが、彼は何が面白くて自分の側にいるのやら。 呼吸をする度にかすかに締め付けられる感じがまだ抜けない。病によって力を奪われ尽くした体を元の状態に戻すには、まだしばらく時間がかかるだろう。その間他の五蛇将にとってはつらい時期になるのだろうが、まあそこは甘えてしまおう。 辛いときはお互い様である、こういう場合は。 脱走しようとしてザザーグに縛られてベッドに放り出されたり(そしてその現場をルガジーンに見られてあらゆる意味で誤解された)、同じく脱走しようとしてミリに危うく本当の意味で再起不能にされそうになれば、さすがのガダラルも学習するのだ。 「ところで、見舞いに来ていた彼のことなのだが……」 ナジュリスに数時間にわたって説教されたところまでこの退屈な生活の回想が進んでいたところに、何気ない様子を装ったルガジーンの探るような声。 「またその話を蒸し返すか」 「君は……その…………」 「言いたいことがあるのなら、さっさと言え」 「……ガルカが……好みなのか…………?」 こだわっていたのはそっちかよ! と、勢いに任せて突っ込みを入れそうになって、また強く咳き込んでしまう。そういえば、このところ頻繁に顔を出してくれる部下もガルカだったなと、この頃ガルカに縁の深い生活を送っていたことに改めて気がつかされた。 嫉妬、なのだろうか。 それとも、別な何かが? 背をさするために体を乗り出そうとするルガジーンと手で軽く制止して、そのわずかな間に、この場を納める手段を考える。彼を納得させ、自分の身の安全も確保して、ついでにガルカに対する偏見(?)も解消する、最良の方法…… 「ルガジーン、こっちを向け」 まだ咳が治まらぬ乱れた息のの合間を縫って、彼に声をかける。 心配そうな表情を隠すことなくこちらに向けてくる彼の顎をつかむと、その勢いに任せて唇を深く重ねた。ちょっとだけ感染の危険を心配したが、健康な人間にはまずうつらないと言われているので大丈夫だろう。 一気に体を硬直させ、逃げようとした彼の背に手を回すことで拘束すると、ゆっくりと歯列に舌を滑らせていく。陽がさんさんと降り注ぐ中、こんなことをこんなところでしてもいいのだろうかというのはさすがに少しだけ考えたが。すぐに口を開いて自分を内側に迎え入れてくれたルガジーンの舌のぬめる感触に、すべてを考えないことにした。 ゆるゆると絡み合う舌から生まれる熱が、全身にゆっくりと広がっていく。 息継ぎのために離れても、すぐにまた互いを求め合うようにふれあい続けていた唇が名残惜しげに離れたのは、聞き覚えのある足音が近づいてきたのを同時に察知したからだった。 未練と快楽の名残を残した息が、わずかにもれる。 「ガルカがどうとかもう言うな、わかったな」 「ガダラル……」 「貴様のような大馬鹿が無駄なことを考える必要はない」 返ってきたのは、頭をなでる優しい手だった。 いい年をした男の頭を撫でるなと軽く抗議するが、それを封じたのは先程とは違う、将としてのルガジーンの自信と強さに満ちあふれた笑みだった。弱さなど全く持たぬ、完璧な将としての姿。 最後にもう一度だけガダラルの髪に指を絡ませると、静かにこう問うてきた。 「一房、貰っても構わないか?」 「俺の髪は護りにはならんぞ」 「気持ちの問題だ」 先程まで果物を切り刻んでいたナイフが自分の目の前で軽くひらめくと、次の瞬間には彼の手に自分の赤みがかった髪が一房のせられていた。どうやって持ち歩くか多少気になるが、彼のことだなくさないよう細心の注意を払うだろう。 「トロールどもか?」 「いや、ラミアだ」 「気をつけることだな、あいつらのしつこさは並じゃない」 「心得ておこう。君もしっかり養生してくれ」 立ち上がり、手早く身支度を始めるルガジーンの姿を目に焼き付けながら、ようやくガダラルは目の前の食事に手をつけることにした。彼は彼の戦いに赴くのだから、自分は自分なりの戦いをしなければならない。冷め切った食事はまずいだろうが、食べて体力を回復することが今自分のやるべきこと。 ぱたぱたと、この逢瀬の終わりを締めくくる足音が更に近づいてくる。 「気をつけて行ってこい」 「わかった、君もあまり看護人に迷惑をかけないことだな」 「ぬかせ」 最後に一度だけ。 指と指が絡み合った。 名残惜しさなど全く感じさせない、ただ何かを確認するかのように触れ、離れていく指。これが終わればまたすぐに会える、だからこだわる必要はない。そんな思いが指先から伝わってくるのを感じ、ガダラルも特に指先に力を込めることをしなかった。 広い背中を見せながら、部屋から出て行ったルガジーンとあわてながら走ってきた副官との会話を聞きながら、ガダラルは味の薄い食事をひたすら無言で口の中に詰め込む。 体さえ治ればすぐに戦いの場に出ることができる、だから焦ることはない。 また、すぐに会えるのだから。 不死の軍団の襲撃でルガジーンが消息不明になったのは、その日の夜のことだった。 きれいはきたない、きたないはきれい。がメインテーマなので、まあ徐々に書けたら。 伏線かなり張ったんですが、後半消化できなかったものもぼちぼち。 これが3回で終わると考えていた、今でも枚数管理能力のない私はどんな話の転がし方をするつもりだったのやら。 BGM「愛しいかけら」 by メロキュア |