「テンペスト」 その2 頭を濡らした布で冷やしつつ、ベッドの上に適当に地図を広げた。 シーツと見まごうほどの巨大な地図。それがガダラルの夜着の端をくわえて涎だらけにしている赤子の体に覆い被さったのを見て、慌てて地図を綺麗に広げ直す。何度布を口から取り戻してもまたくわえ始めるのは、そろそろ歯が生えてくるからだろうか。 先程までぐずっていたのが落ち着いてくれたのは有り難いが、これではねる前にもう一度着替えをしなくてはならなくなる。しょうがないので赤子を膝の間に座らせ、自分の指をくわえさせてやることにした。とりあえず明日になったらなにか常時くわえておける物を探してみようと思いながら、もう片方の手はまだうずく頭を冷やす行為に専念する。 「随分手慣れているな……助かるが」 「難民の移送も昔やったからな、ガキの子守は嫌じゃない」 適当に赤子をあやしながら頭を冷やしていると、髪の水分を拭き取りながらルガジーンが静かに部屋に入ってきた。自分が開けるときしむ音を立てるドアだが、彼が触れるとまるで魔法か何かでも使っているかのように静かに開く。自分の家だというのに、彼の方が自分の家の扱い方を心得ているようだった。 「ザザーグが君に預けろといった理由がよくわかったよ、私じゃ無理だ」 「家の奴に言って預ければいいだけだろう」 「厄介事を増やす気はないよ……ただでさえ、君の家に泊まる度に色々と言われているのだから……」 どうやら自分の見てないところで相当苦労をしているらしい。 地図を挟んで自分の向かい側に座ったルガジーンの表情は、微妙に暗かった。まだ昼間の大惨事の影響が体に残っていることもあるだろうが、それ以上に今後に対する不安が大きいのだろう。 アルザビを襲った謎の怪事件は、その場にいた魔法を扱う者たちすべてに平等に襲いかかった。 原因不明の昏倒、耐えきれぬほどの頭痛。未だに目を覚まさぬ者もおり、この館を一歩出れば街はまだ大混乱に陥っていることだろう。ガダラルもザザーグの肩に担ぎ上げられたところまでは覚えているのだが。目が覚めたら自分のベッドに横たわっており、おまえに何故か隣で機嫌の悪い赤子がび〜び〜と泣きわめいたりして、まだ消えない痛みが更に増幅されたりして今に至っている。 普段なら救護的な役割を果たす魔法使いたちが倒れているのだから、対応が全て後手に回っており。ルガジーンも体のだるさと頭の痛みを堪えつつ陣頭指揮を執り、半ばダウンしたところで無理矢理帰されたらしい。 一体何が起こって、今後何が起ころうとしているのか。 彼が今一番欲しいのはその情報であり、それに対応する術なのだろうが。はたして何をどこから説明すべきか、地図を引っ張り出して説明する用意はしたのだが、上手く理解できるように伝えられる自信があまりない。 というより…… 「ルガジーン、これだけは約束しろ」 「何をだ」 「怒るな、キレるな、暴れるな」 「まさか、君がおかしな魔法実験をした結果ではないだろうな……」 「俺が自分に跳ね返るような実験をすると思うか」 「十分そう見える」 もう少し元気ならこいつを殴ってやるのに。 地図を踏み越えてまでルガジーンを殴る気力がわかず、歯がみをして耐えようとするが、そうすると頭に響くという悪循環。 今日だけは許してやる、そう思いながら地図を指さしてとりあえず説明を開始した。 「こことここ……それからここもだな、宰相の肝いりの魔法実験場なんだがな」 「噂には聞いていたが、何故君が知っている?」 「昔の部下がいるのでな、情報は勝手に入ってくる。まあそこで昨日の夜から今朝にかけてとある実験が行われた、らしい」 「らしい?」 「行うという話は聞いていたが、実際に行ったかどうかはわからん。多分失敗したんだろうがな、アルザビのこのざまを見れば」 相づちを打ちながら話を聞いていたルガジーンの顔色が、更に悪くなっていく。 謎の魔法実験、失敗、宰相、この言葉から連想される結果がいいものであるはずがない。説明しているこっちだって怒ってキレて暴れたい、だがこれから怒ることがわかっているので先にキレるわけにはいかないのだ。 もう少しだけ、耐えよう。 「三カ所で行われた実験の結果は、このアルザビにそのまま送られてくるはずだったんだろうな。だからこそ失敗の結果をそのまま引き受ける結果になった……朝から精霊が尋常じゃなく騒いでいたからおかしいと思ってはいたがここまでひどいとはな……洒落にならんぞ、あの糞宰相が」 「死者は出なかったのだから良しとするべきだろう。蛮族の動きも静かだから、君も静かに体を癒せばいい」 「ルガジーン…………冷静に聞け」 かなり感情を抑えて話したつもりだったのだが。 ルガジーンはわずかに安堵の光が差し込んでいた瞳に再び緊張をにじませ、こちらをじっと見つめてきた。 「何か、不都合なことが起こっているのか」 「ああ、今回の件は外側からの過剰な魔力干渉でアルザビ全土で精霊の大暴走が起こったのが原因の一つなんだがな…………」 「はっきりと言ってくれ」 「多分治まるのに一月ほどかかる」 「だから何が」 赤子に指をくわえさせ、あやしながら言う言葉じゃないのだろうが。 アルザビでしばらく魔法は使えない。 もったいぶるわけでもなくさらりとそう口にすると、わずかに会話に空白ができた。さすがにこれだけの大事、理解するのに時間がいるのだろう。 「詳しく言えば使えないことはないが、大幅に制限……」 「それがどういう意味を持つか、わかっていて行われた実験なのか!? 魔笛を他の場所に安置することも今の状況ではできないだろう。それがわかっていて、失敗する可能性のある実験をこのアルザビを目標に行ったのか!」 「怒るな、キレるな、暴れるな。俺は最初にそう言ったはずだが」 「…………君は何とも思わないのか!」 「頭に響く、もう少し静かな声で話せ」 こいつもまた泣き出すぞ、と手足をばたばた動かす赤子を指さすと、ベッドを叩き壊しかねない勢いで拳を振り上げていた相手も一気に落ち着く。 ついでに更に落ち着かせようと、こう言ってみたのだが。 「父親だろう、こいつのためにしっかりしろ」 「……君の頭の中身を覗いてみたいと今日ほど思ったことはないよ……」 あまり効果はなかったようだ。 怒り狂った次は一気に落ち込んだアルザビ防衛の要は、肩を落としながらガダラルと赤子を交互に見やる。 「私の子供ではないと先程説明したはずだが」 「俺がそういう細かいことを聞いていると思うか?」 「そうだな……君はそういう人だったな……」 やってることも話していることも噛み合わないのはいつものこと。 そのくせ互いの側にいるのが一番楽なのは、このずれ具合すら楽しいと思えるから。なのだが、こういう真剣な事態になるとすれ違いを楽しむ余裕が無くなるのも事実。少しはルガジーンに合わせてやらないと、ストレスでどうにかなってしまうだろう。 この生真面目すぎる男は、生真面目すぎるが故に突発的な事態にこの上なく弱いのだから。 「それで魔法が使えないというのは?」 「魔法実験の影響でこの辺り一帯の精霊の流れがぐちゃぐちゃになってな……まあ説明するよりやってみた方がいいな」 普段ならこんな室内で使うことがない、高度な炎の魔法を紡ぐために言葉を連ねはじめる。目の奥に錐を差し込まれたような痛みが集中を鈍らせるが、震える声は馴染んだ呪文を唱え終わりその力を解放した。 先程まで赤子をあやしていた指に小さく、まるでろうそくの火のような炎が一瞬だけ灯る。 ただそれだけだった。 「大丈夫なのか?」 「心配するな、ちょっと痛むだけだ」 頭を押さえる布で額に浮いた汗を拭くと、痛みを逃がすために大きく息を吸い込む。 このまま倒れてしまえば楽なのだろうが、今後どうなるのかを説明してから休まなければ明日からの激務に対応できないだろう。 これを抱いて寝たら気持ちよさそうだなと、赤子の腹を撫でてやりながら言葉を続ける。 「こんな感じで魔法の威力が大幅に制限される、おまけに使う度に洒落にならないくらい疲れるんでな、使わない方がよっぽどましだ」 「こんな時に蛮族の襲撃があったら……」 「全滅かもしれんな」 「微妙すぎる冗談はやめてくれ。まずは防備の徹底とこの状況を改善することを宰相殿に陳情する必要がある。君にも働いてもらうことになると思うが」 将としての顔と私生活での恋人としての顔、どちらで接していいかわからないのだろう。歯切れが悪い言葉に、思わず苦笑が漏れてしまう。 凛々しく清廉な騎士として強くあろうとしているのに、私生活では身内に馬鹿みたいに甘く。優しすぎて貧乏くじをひくのがわかっているのに、それすら笑顔で受け止める馬鹿みたいに素直な男。 そういえば。 自分とは正反対な男に、何故ここまで肩入れするようになったのだろう。 何かきっかけがあったはずなのだが……ほんの些細な、忘れてしまうような小さなきっかけが。路傍の石のようなそれが、自分と彼との関係のはじまりとなり、こうやって自分の家で将としての心の鎧を脱ぎ捨てた自分を見せるようになった。 まあ脱ぎ捨ててもあまり変わらないというのが正直なところなのだが、自分の言いたい放題を受け止めてくれる相手がいるというのはいいことだ。 「そろそろ互いに休んだ方がいいだろう」 「……………………おい」 「何か気になることでも?」 脱ぎ捨てるといえば。 地図を畳み始めていたルガジーンに少し冷たい声をかけると、子供のように素直な瞳でこっちを見つめてきた。でかい図体でこういう瞳をされると、なんとなく続きを言いづらいのだが気になるので聞くことにした。 「気がついたらこの格好だったんだが、俺を着替えさせたのは貴様か?」 「かなり汗をかいていたから体を拭いてから着替えさせたが……風呂の準備をして来た方がいいだろうか」 「そういう事じゃない!」 この男のことだから、純粋に自分の体のことを心配して着替えさせたのだろうが。何となく納得がいかないのは自分が不純だからだろうか? 声を荒げたことで痛みが増し、それが伝わったのか膝の間の赤子がむずがりだす。 「あまり無理をしないでくれ」 声と共に、温かい腕に引き寄せられる。 頭痛がするから頭を冷やしているのに風呂上がりの温かい手を頭に乗せるな、それ以前に赤子が潰れるだろうが。 そんなことを考えたのも最初の一瞬だけで。 髪の間を通る指の感触の呼び起こされた極度の疲労と眠気が、一気に意識を濁らせ始める。ルガジーンの胸に額を預け、素直に目を閉じると困ったような彼の声が頭上から響いてきた。 「ガダラル……この子が潰れてしまう」 もっと早く気がつけ。 自分たちは本当に噛み合わないと思いながら、おろおろするルガジーンにそのまま体の全てを預け。 眠りにつくことにした。 魔法使い、魔法が使えなきゃただの役立たず。 昨日のダメージがまだ抜けていないという名目で、やりたくもない書類整理に回されてはや数時間。鎌を振り回して暴れているのが一番性に合っているのだが、そればかりやっているわけに行かないのが一応将と名のついている者の定め。 書いては渡し、渡しては書くつまらない作業が先程から延々と続いていた。続 資材の管理や補修物品への予算の振り分けなど、面倒極まりない仕事が続く上に、こういう仕事を苦手としている隣の馬鹿猫のフォローも作業に含まれるため効率は極端に悪い。 「この馬鹿猫、計算くらいはちゃんとしろ! お前の脳みそには魚の骨しか入ってないのか!」 「頭に響くから、小さい声で言ってよ〜」 「わかった、小さい声で言ってやる…………全部やり直せ」 「…………意地悪」 「俺に直されるのは屈辱だって言っていた馬鹿はどこのどいつだ? 満足に書類を作れるようになってから余計な口を叩くことだな」 机を並べて罵り合うのもあまり気分のいいものではないのだが。 ミリの書類を直すだけで時間が潰れるのは、苛々を更に増幅させる。ガダラルの怒りに触れたくないのか、まめにお茶だのお菓子だのを運んでくる副官たちの腫れ物に触るような態度もまた気に障ってしょうがないのだが。 それでもいただけるものは有り難く頂いておいた。 「シャヤダル、次はミルクの入っていないチャイを持ってこい」 「ガダラル様……それはもうチャイではないのでは……」 おろおろする自分の副官を見ながら、砂糖の入っていないチャイを一気に飲み干す。 このままミリの机に置いてある菓子も鷲づかみにして全部食ってやろうと思ったが、そんなことをしたら本気で泣かれそうなのでそれだけはやめておいた。実際にはミリの計算が間違っているのではなく、数日前の書類ならば合っていた計算が今回の事件で大幅に狂っていることが原因なのだが、ミリ自身にそれに気がついてもらわねば意味がない。 書類仕事は失敗を繰り返して覚えるのが一番いいのだ。 ミリの書類があがってくるまであと少しかかるだろう。それが終わらないとガダラルの仕事が始まらないため、実際に現場を見に行くことにする。 朝から書類を見続けて、少しどころではなく気になる部分があったというのも理由だ。無造作に立ち上がると、ミリの恨みがましそうな声が絡みついてきた。 「ガダラル、どこ行くの?」 「書類の金額とあがってくる報告の結果が合わん、このままだと金を早々に使い尽くす」 「ボクも見に行っていい?」 「それが終わってからな」 ぎゃあぎゃあと文句を言い始めるミリを無視してそのまま外に出ると、慌ててシャヤダルがついてきた。心地の良い風が吹いている今日なら外套がいらないはずなのだが、薄手で大きめの外套をガダラルの背にかけ、ガダラルの一歩後ろを歩きながら遠慮がちについてくる。 派手で目立つこと極まりない鎧を隠す役に立つので、外に出るときは愛用しているのだがさすがに今日は体全体があっという間に暑くなってくる。 「暑いぞ」 「ですが、お忍びの視察ならば必要かと……」 「それくらいわかってる」 声は遠慮がちでも、内に秘められているものは堅く鋭い。 普段は怒鳴りつけ、蹴飛ばし、周囲から見ればさんざんな扱いを受けているように思われがちだが、それはガダラルが正しいときだけで。間違っていることをすれば普通に諫められるし、気に入らないことには何があっても絶対に従わない。 ある一点を除いて、今現在は良好な関係であるのだが。 「お加減の方は……」 「治った」 短くそう答えると、背後の気配が一気に緩んだ。 余程心配していたのだろう、大げさすぎる安堵の息まで聞こえてきて、思わず口に苦笑が浮かぶ。普段は自分にされるがままなのに、こういうときは過保護極まりないというかなんというか。 「昨日ルガジーン様に運ばれたと聞きまして、夜間に無茶をなされなかったか心配で心配で……」 「貴様の心配はそっちか!」 「エルヴァーンは鬼畜な方が多いと聞きますし、弱って動けないガダラル様をこの機会とばかりに手込めにしたのではないかと」 「向こうも弱ってたからな、その心配はいらん」 相手に見えてもいないのに手を振ってそう答える。 東部戦線の頃より掌中の玉より大事にし、手塩にかけて育ててきた自分の上官が、その更に上官に持って行かれたと知ったとき、シャヤダルは一月近くガダラルと口をきいてくれなかった。子供の喧嘩に見えるからさっさと仲直りしなさいとルガジーンに怒られたが、そもそもの原因は貴様だと言うにも言えず。関係修復までに色々とあったのだが、それはもう思い出したくもない。 せめてもう少しチェックが緩ければと思いつつ、見慣れたはずの町並みを散歩するような風情で確認していく。 「シャヤダル」 「なんでしょうか」 「物売りの数が減ったな」 「卸の市場で食品などの値上がりが続いてます、手持ちの金が少ない小売りでは手が出ないようです」 「そういうことか……値を調節してもらわんとな。ルガジーンが戻ってきたら言ってみるか」 昨日の件の報告と宰相への抗議のために、ルガジーンは皇宮へ出立した。 夕方までには戻るといっていたが、あの話の長ったらしい宰相相手に早く終わるわけがない。それまでにできることをやっておいて、少しでも負担を減らしてやらないと、夜中まで仕事をすることになるだろう。背中に赤子を背負っていった事には感心させられるが、だからといって仕事が減るわけではない。 食品の値上げは民の困窮に直結する。昨日の事件でアルザビの防衛能力に疑問を持たれ、卸売りの大商人たちが値上げをしてきたのはわかるのだが、それにしても値上げのスピードが速すぎる。昨日の事件が起こってすぐ動き始めても、これほど早い値上げには繋がらないはずだ。一部の商人たちがというのならわかるが、一斉にというのは何かの情報が事前にあったからとしか思えない。 「実験の詳細が漏れていた……それともそれ以外の何かがあって今回の件と合わせるタイミングで値上げになったのか……?」 「それがガダラル様」 「なんだ」 「建材と食品は異常な程値が上がっておりますが、他の物はほとんど値動きがありませんで。値を上げようとしている動きはありますが」 「どういうことだ? 武器や矢弾などの消耗品は?」 「そちらは数日中に値上げになるかと」 ますます訳がわからなくなった。 常に戦場となる都市の場合、真っ先に値上がりするのは食料品と武具の類である。食品が値上げするのは当然として、何故建材の値も上がるのか? 需要を見越して先に値上げするのはわかるのだが、それなら武具関連の値段を上げる方が先だろう。なんといっても、真っ先に必要になる物なのだから。 今回の件には、自分たちがまだ知らない何かが隠されている。 「人を増やせ、宰相と繋がりのある商人から情報を引き出してこい」 「承知いたしました」 シャヤダルの事だ、この事態についてもう情報を集め始めているだろう。 上に立つ者は直接動かず、集まってきた情報から最終的な判断を下せばいい。集まってきた情報から正しい物、役に立つ物を選り分けて、部隊にとって最良で最善の判断をするのが指揮官の仕事。 普段自分勝手に暴れていても、それさえちゃんと行えばシャヤダルは何も言わない。 常に自分の後ろに付き従い、わがまま放題で暴れん坊の上官をたて、時には影でフォローする。将として人を率いるようになってからずっと彼以外の副官と行動したことはないが、自分はとても恵まれているのだろう。 私生活に口出しされなければもっといいが……まあそれは個人的なわがままというもので。 「ところでガダラル様、ルガジーン様のお子様のことですが」 「…………あれは違うそうだぞ……」 「少し調べを入れてまいりました」 「は、早いな……というか、特に頼んだ覚えは……なかった…………気が……」 「いえ、こういう事は早くはっきりしないと」 やけに気合いの入った声で言い切るシャヤダルと共に、人の少ない路地へと移動する。 赤子を背負って皇宮に行っているルガジーンは今頃どれだけ苦労している事やら。想像するだけで笑いと共に同情心がこみ上げてくるが、代わってやろうとはとは全く思わない。利権を求める魑魅魍魎の巣窟になど、頼まれてでも行きたくない。 相当微妙な顔をしていたのだろう、シャヤダルが面白そうな顔でこちらを見ていた。 「にやにやしながらこちらを見るな!」 「申しわけありません……それでご報告をさせていただきますが」 「申し訳ないという顔じゃないぞ、それは」 軽く睨みつけてやるが、シャヤダルに動揺する様子は全くなく。 仕事絡みならいくらでも蹴飛ばしも怒鳴りつけもするが、こういうことだと強く言えないわけで。そこら辺もわかっているので、シャヤダルも怯える様子すら見せないのだ。 「ルガジーン様の従兄弟に当たる方が、とある娼館に行かなくなった時期と綺麗に重なるようで」 「ああ、あのガキができた時期だな」 「はい。その方は、その時期よりぴたりと娼館通いはやめられているそうです」 「馴染みの娼婦に自分の子供ができたのを知って、慌てて逃げ出したというところか」 気に入った娼婦に久しぶりにあったら自分との間に子供ができていた、まあよくある話だ。そこで子供の将来について保証するのならその男も器が大きいと評されるのだろうが、もう行かなくなるというのは。 「屑以下だな」 吐き捨てるような声でそう呟くと、シャヤダルも無言で同意する。 子供を作るとか、家族を作るとか。そんな安穏な未来に興味はないが、それでも自分に情をかけてくれた男との間にできた子供を産みたいという女の気持ちはわからないでもない。どうして手放したか、その上何故ルガジーンの所へという疑問はあるが、そうまでして助けたかったのだろう、我が子を。 いらないのなら普通にそこら辺にうち捨てればいいものを、わざわざ迎えに来ますという手紙まで置いて父親の縁者の家に置いたということは、それだけ子供の身を案じていたということ。 「ガキの件は放っておいても大丈夫そうだな」 「そうですね、きっとお母様が迎えに来られます」 「奴にも戻ってきたら教えてやるとするか」 仕事が忙しいので表には出さないが、相当気にしているのは事実で。 少しでも精神的な負担を減らしてやらないと、間違いなく数日中に倒れる。頭に立つ者が動かなければいけないことはたくさんあるが、ルガジーンの場合は無駄に仕事を抱え込むので見ている方が落ち着かない。 もう少し気楽にやればと言ってやりたいところだが、立場的に下の者にそんなことを言われれば立つ瀬が無くなるのは過去の経験で重々わかっている。 「俺に今できることはなんだろうな」 「それは簡単ですよ」 「…………なんだ?」 小さく呟いた言葉に、シャヤダルはしっかりとした口調でゆっくりと応えてきた。 「心の中でだけ、感謝することです」 自分の命で動いてくれる下の者に、身を削りながら忙しく働く自分の将に。 一人にだけ感謝を口にしてしまえば、集団に乱れが出てしまい。かといって全員に言うには組織の規模が大きすぎる。 だから心の中に感謝を秘めて、態度でそれを示すしかない。 士官として赴任してきたガダラルに、まだこんな立派な髭をしていなかったシャヤダルが最初に教えたことがそれだった。部下を信じるのなら、その部下に無駄に頭を下げる必要はない。 ただ誉めて認めてやるだけでいい。 口に出さずに感謝して、そしてその気持ちは絶対に忘れない。 今考えれば自分はとてつもなく大事に教育され、愛されていたのだなとわかるのだが、あの頃はにっこり笑って無理難題ばかりを突きつけてくるシャヤダルをどれだけ恨んだことか。だからこそ、今は逆にシャヤダルに無理難題を突きつけているのかもしれない。 それすらも彼にとっては大切な上官の可愛いらしい癇癪。 「…………………………はぁ」 「何か?」 「何でもない、戻るぞ!」 いつになったらまともに大人扱いしてもらえるのか。 ちょっと落ち込みながらも、他愛のない会話をしながら大きな道へと戻る。どことなく活気のない人々の行き交う姿を見ながら、もう一度書類の洗い直しをしなければと頭の中で計算をしていると、目の前に見慣れているけど見慣れていない姿は唐突に現れた。 「帰ったのか」 「…………………………」 「早速で悪いが貴様に伝えておかなければならないことが」 「……………………………………」 「おい、人の話を聞いているのか」 なんかあったな。 見ているようで何も見ていない目と、背中で必要以上に暴れている赤子を見た瞬間にそう思った。が。一刻も早く片付けなければならない問題がある以上、落ち込もうが泣こうがちゃんとそれは完遂してもらわなければ。 「ルガジーン! 人の話を聞け」 「………………………………あの……」 「……ど、どうした…………?」 「あの馬鹿宰相が」 やけにドスのきいた声で、日頃は温厚そのものの長身のエルヴァーンがそう呟いた時。 もしかして今回、とんでもない事になるんじゃないか? と、ちょっと背筋に寒いものが走ったガダラルだった。 こっから事態は混迷の極みに(笑) そして次からさらに話が堅くなるので、どうしようか頭を抱えているのですが。ついでにいえば、なんでだか長くなっている気が……ガダラルさんもとても真面目に働いてくれてますが、次からは……あははははは。 BGM「JOINT」by川田まみ |