「テンペスト」 その1 朝目が覚めれば、横に恋人の寝姿。 注ぐ日の光の中で軽口をたたき合い、そして無事を祈りながら見送って。 満足すべき日々、のはずだったのだが。 空の一点を凝視している炎蛇将の姿を最初に見つけたのは、ナジュリスだった。 程よく雲が流れ、優しい風がゆるりと辺りを巡る心地よい天気の中、優しい青を燃えつくしそうに鮮やかな色合いの紅い鎧姿はとにかく目を引く。赤みを帯びた髪も光を帯びてきらきら輝いているが、表情が険しすぎるせいで長時間見つめる人間は存在しなかった。 こういう表情の時は、何か重要なことを考えている時。 それがわかるくらいには、彼を理解できるようになっていた。 お互いの性格上馬が合うとは言いがたいのだが、それでも酸いも甘いも噛み分けた上で意地という名の信念を貫き続ける彼に、尊敬に近い感情を持っているのは事実。まあ時折暴走する彼を押さえるのに苦労させられたり、頭を抱えることになるのだが、それも楽しいと思えるようになってきていた。 好きなように生きているくせに人に無駄に気を遣って、でも人に感謝されたがらなくて。高潔なんだかわがままなんだかわからない独特の考え方は、ナジュリスに色々なことを教えてくれる。最も、一番教わっているのは彼とミリが突発的に引き起こすトラブルの対処法なのだが。 そんな彼がアルザビの澄んだ早朝の空の下、普段は見せない顔で何かを思案している。周囲がついていけないほど喜怒哀楽が顔に出すぎる通常の時より、堅いながらも真摯な今の顔の方が将軍らしく見えるのだが。本人はそういうことをいうとまた烈火のように怒り出すだろう。 顔立ちは十分綺麗なのだから、怒鳴り散らさずに真面目にやっていれば女性人気も上がるだろうにと思いながら声をかける。 「ガダラル、どうかしたの?」 「あのくそ宰相…………いつか殺す」 「…………何を思いだしたのかはわからないけど……人に聞かれるとまずいんじゃないかしら……」 「ああ、貴様にはわからないか」 何を一人で納得したのか空に向かって一人で頷くと、わざとらしいほど大きなため息をつく。何が起こったのか、それ以前に何に大してガダラルが憤っているのか、ナジュリスには説明してくれないとわからないのだが、ここで説明してくれるほどガダラルは親切ではない。 強く。 もう一度だけ空を睨みつけると、いつもと変わらぬ足取りで街の巡回を再開する。 すたすたと速い足取りで去っていくガダラルを追いかけながら、ナジュリスもちらりと空を見る。アトルガンの空の色は薄いとよく傭兵たちが言うが、ナジュリスにとっては生まれたときからこの空が自分を見守ってくれていた。 空全体を包む薄い雲が空の青を霞ませているかもしれないが、権力という名のカーテンをいくらめくっても真実にたどり着けないこの国には似合っているのではないだろうか。 鮮やかではなく、だが儚くも美しい。 いつ滅ぶのかわからない危機にさらされているのに、ここまで活気のある街というのもそうはあるまい。どんな物にもいつかは滅びはあるとしても、もう少しだけそれが先に延びてくれればいいのに。 こちらを振り返ることなく自分勝手に歩いているガダラルの背を見つめると、自然と口元が緩む。世話の焼ける弟はもういるが、世話の焼ける同僚の面倒を見るというのも悪くない。 「それにしても……」 何を気にしていたのかしら。 顎に手をやりながらそっと首をかしげるが、疑問の元がそれに答えてくれるはずもなく。 こんな些細な出来事が、アルザビ史上最悪の事件の始まりだった。 最後に詰所に入ってきたのはルガジーンとミリだった。 兄を慕う妹のようにルガジーンにまとわりつきながら、ああでもないこうでもないと勝手気ままな言葉を連ねている。それを聞いているルガジーンは、適度に言葉を返しながら前を見て歩いていないミリが躓かないよう、ぶつからないよう歩調をゆるめたり軽く引き寄せたりと、中々忙しそうであった。 ドアの金具に服の裾を引っかけそうになったミリの手首を軽く引き、優しい兄のように目線で軽く叱る姿も常日頃と変わらぬもの。 背中に何かを紐で縛って背負っており、それがもぞもぞと動いていなければ、本当に心和む光景であったのだが。 赤子特有の喃語が背中でうにゃうにゃ響いている事にも全く動じない五蛇将のリーダーは、自分の席についてそのまま仕事を始めようとしており。入れ替わりたちからり訪れる巡視の兵たちが、ぎょっとした表情をするのだがそれを見る余裕もないらしい。背中の存在を見ないように、認識しないことで平穏を保とうとしているとしか思えなかった。 逆に、一緒にやってきたミリは開口一番。 「ナジュリスおはよ〜 あのね、ナジュリスおっぱい出る?」 「……ミ……ミリ…………あなた、私を産休に追い込みたいのかしら……」 「そうじゃなくて、あの子のおっぱい探してるの」 天気は良くて、おまけにここしばらく蛮族の襲撃もなく。 ちょっと人間的には問題があるが能力には問題がない同僚と楽しく仕事を始めるはずだった一日の始まりに、いきなりおっぱい出る? というのは一体何の嫌がらせなのだろうか。それ以前に、その黒い髪をしたエルヴァーンの赤子は一体誰の子なのか、そんな疑問が脳を一気に渦巻き始めたのだが。 「まあ、飢え死にされちゃ困るからな、知り合いを当たってきてやるか」 「すまないザザーグ」 「いいってことよ、ところでそいつはお前さんの子か?」 「…………多分、違うと思うのだが…………」 「あのね、朝家の前に置いてあったんだって」 勝手に説明をし始めようとしたミリを軽く制し、自分でもわかっていないらしいルガジーンが説明したことを要約すると。 朝仕事に行こうとしたら家の前に置いてあった。 自分の家の家紋入りの布にくるまれていた。 『しばらくの間お願いします、必ず引き取りに来ます』という手紙が一緒に置いてあった。 ということらしいのだが。 ルガジーン自身も首を捻りながら説明していたように、わからないことづくしである。ルガジーンの子ではないのなら、何故ルガジーンの家を選んだのか。家紋入りの布はどこから入手したのか。引き取りに来るという手紙を残したと言うことは、ルガジーンが一時的に育てることを願っているだけで、ならばもっと別な手を取れたのではないのだろうか。 つまり、全部がちぐはぐで説明がつかない。 それでもわざわざ背負って連れてくるということは、家人にはまだ伝えていないのだろう。まあ、いきなり家の前に子供が置いてあって出自も置かれた理由もわからない、そのくせ自分の家の家紋がついた布にくるまっていた、なんてことがわかってしまったら大問題になるのは目に見えているわけで。 ミリは面白がっているようだが、当のルガジーンは相当混乱しているらしい。 「ルガジーン、とりあえずその子を下ろしてあげたらどうかしら」 「そ、そうだな…………子供の扱いはよくわからなくて……」 「首は据わっているようね……歯はまだ生えてないけど、これならお乳じゃなくても大丈夫じゃないかしら」 「ナジュリス詳しいね」 「弟の面倒も見ていたから、少しはわかるわ」 危なっかしい手つきで紐をゆるめ赤子が落ちそうになるのを無言で受け止め、改めてじっくりと元気そうなその子を観察させて貰う。濃い色の肌と綺麗な漆黒の髪、大きな瞳と整った顔立ちは大きくなったらかなり綺麗な子になることを予感させる。機能重視の調度品が並ぶ、無機質な室内で可愛らしい笑顔がその場にいる人間の心を和ませる。 このまま遊んでやりたいところだが、一つだけ確認しないといけないことがある。 「ごめんなさいね」 と小さく呟きルガジーンの執務机に乗せると、てきぱきと服を脱がせ、性別を確認する。のぞき込んでくるミリとは正反対に、ルガジーンは首まで赤く染めて背中を向けたのは恥ずかしいからか、それとも別な何かがあるからなのか。 「あ、女の子」 「おむつの準備と、それから一応体の状態を医者に確認してもらわないとね」 「当て布だけでも先にもらって来た方がいいね、それとご飯はどうしよっか」 「倉庫にお芋があったから、ミルクで煮てあげましょう」 「じゃあ後で他にあげられそうな物があるか見てくる」 ミリもこういう所は気が回るので、安心して任せることができる。 仕事そっちのけで今後の手はずを整えると、自分は体でも洗ってあげようかと思った矢先。そういえば先程から一度も発言していない人間がいることに気がついた。 怒るにしろ、歓迎するにしろ、派手な感情表現で場を楽しませてくれるはずの最後の一人。本人は楽しませているつもりはないのだろうが、こういうトラブルが持ち上がったときの彼の反応は面白いの一言に尽きるので、ミリなどは厄介事が起こるのを楽しみにしている節もあったりする。そんな彼のあまりの反応のなさに、思わず全員が彼の顔をのぞき込むと。 腕を組んで椅子に座ったまま、静かに目を閉じていた。 部屋の隅まで椅子だけを移動して、壁にもたれかかるかのようにして自分の場所を作っている。 「ガダラル……夜番だったっけ?」 「私と一緒だったから違うわ」 「ねえ、起きてよガダラル」 ミリの全力の揺さぶりを受けて、ようやく薄く目を開いたガダラルだったが、面倒そうに首を振るとまた目を閉じる。さすがにこの状況はおかしいと思ったのか、他の五蛇将もガダラルの側に行き声をかけたり色々してみるが。 うるさいの一言もなく。 口の間から漏れる呼吸も睡眠の時のように規則正しいわけではなく、ナジュリスが弓を引き絞るときのように、自分の体を有効に使うためのリズムがゆったりと刻まれている。 時折目を薄く開けて状況を確認しているようだが、眠いというわけではなく、かといってこちらの言葉を聞いていないわけでもないらしい。朝から様子がおかしかったことと関係があるのだろうからあまり声をかけない方がいいとは思うのだが、それでも心配なものは心配で。 「ガダラル」 と、小さく声をかけるとまた薄く目が開かれた。 「……………もう少ししたら落ち着く、少し静かにしろ」 「でも」 何があったのかだけでも教えて欲しい、そう続けて伝えようとした時。 ミリの体が大きく震えた。 「これ……なに…………ッ! ねえガダラル!!!」 見えない何かを探すかのように、全てを拒否するかのように大きく振られる首。一気に色を失っていく唇からこぼれる言葉からも、生気が失われはじめ。 糸の切れた人形のように、静かに床に座り込んだ。 慌ててザザーグが抱きとめるが、体以上に小刻みに震える眼球に、もう感情の色は見えなかった。気を失いたくても気を失うことすら許されないのだろう、時折大きく痙攣する体は一気に限界まで追い詰められていた。 周囲を見れば、赤子を執務机の上に置いたままルガジーンも軽く頭を押さえてうめいている。ミリより遙かに症状が軽そうなので、悪いとは思うがそのまま放置させてもらい、兵たちにミリを休めるところまで運んでもらおうとして、ようやく周囲の状況に気がつかされた。 詰め所を呪うのように外から響いてくる無数の悲鳴やうめき声。 パニックを起こした民衆が物を倒しているのだろうか、物が割れる音やつぶれる音が重なって響いてくる。 身体の異常を感じていないのは、ザザーグとナジュリスのみ。 「これって……」 「魔法、だろうな」 苦痛のためか焦点の合わぬ瞳から大粒の涙をこぼしているミリを抱きしめてやりながら、ザザーグが断言する。 そしてその言葉を補うかのように、部屋の隅から力のない言葉。 「どこかで大きな魔法実験をやった……多分だがな」 「ガダラル! あなたは大丈夫なの!?」 「大丈夫に見えるか、馬鹿者が」 苦痛を堪えるために噛んだのだろう、口の端から乾かぬ血を流しながら、ガダラルが顔を上げた。ぽたりとこぼれ膝を次々と濡らす血、わずかの間で一気にこけた頬。白くなった肌に血が映えると言うと怒られそうだが、非常時だというのにある種のすごみすら感じさせられてしまう。 椅子にもたれかかって、何とか倒れるのを免れているといった風情だが、意識はしっかりとしているらしい。 「どうすればいいの!?」 「……すぐに落ち着く…………問題は…………その……後だがな…………」 「え? それはどういうこと?」 「話す前にやることがあるだろうよ」 パニックを起こしかけたナジュリスの肩に、大きな手が乗せられる。自分より遙かに高い目線から、優しい瞳が落ち着けと訴えててきた。 「ザザーグ……」 「俺はあっちを運ぶんでな」 小刻みな呼吸でとりあえず命を保っているといった風情のミリが、目の前にそっと横たえられる。ナジュリスが動くことを確認することもなく、ザザーグはそのままガダラルを肩に担ぎ上げ奥の間へと運んでいく。 ナジュリスはこんなことで動けなくなるような弱い存在ではない。 無言でそう伝えてくるザザーグの全てが、胸の奥で暴れていた混乱という魔物を一気に落ち着かせていく。 大きく息を吐いて、今何をすべきか考える。 「ルガジーン、動けるのならミリを運ぶのを手伝って。それから、その子も何処か別な場所へ連れて行ってあげないと」 こんな状況だというのに泣き出すどころか、嬉しそうな声を上げながら天井を見つめている赤子の強さに安心させられながら、ルガジーンを叱咤に近い声で無理矢理動かす。 今できることは今行う、現状を知るのはその後。 軍学では逆だと教えられるのにと内心苦笑するが、とにかく今は何が起こっているかを理解するよりこの状況を治める方が先だろう。ふらふらと動き始めたルガジーンをせかしながら、限界に達したのかようやく目を閉じることを許されたミリの目元を拭ってやる。 意識が閉ざされても痙攣が治まらない体を抱き起こしてやると、一瞬だけ今日の空が視界にはいる。 澄んだ薄い青、それを飾る白い乱雲。 この空にガダラルは一体何を見たのだろう、何がわかったのだろう。 魔法を扱う術を知らないナジュリスには、この空は単なる美しい空にしか見えないが、知るものには一体どんな風に見えるのだろうか。 聞こうとしても、答える物は誰もおらず。 外の騒ぎも、赤子の泣き声も、空を見ているときだけは耳から遠ざかっていくようだった。 明るく楽しく長いのを書きたいな〜と考えてプロットを立て始めましたが、うん明るく楽しい(笑) こっから事態は更に色々な意味で混迷していくのですが、赤ん坊の仮称が思いつきません。プロットにはルガ子と書いてあるのですが、さすがにそれはまずいだろうと。 大体6〜7ヶ月の赤ん坊をイメージしているので、学生時代の教科書とかを引っ張り出して再度お勉強中。医学一般とか発達心理とか苦手だったんだよなあ…… ちゅうことで、多分5〜7話で終わるはず、少しだけ長丁場になります。延びないようにしますが、何故私は色々資料をウキウキしながら参照しているのでしょうねえ(苦笑) ということで、ナジュのターン終了〜 BGM「コンプレックス・イマージュ」by彩音 |