「はるのあしおと」










 その花に目をとめたのは、ほんの偶然だった。


 鮮やかな花弁の色に吸い寄せられるように手に収め、持ち帰ったのも心地よい偶然。



 鋭い眼差しで常に周囲を睥睨している男、その眼差しが自分を前にすると更にきつくなるのは日常茶飯事なのであきらめがつくが。
「これは俺に対する嫌がらせか?」
「道の隅に咲いていたのだが、ことのほか綺麗だったのでな」
「貴様一人で満足していればいいだろう、なぜ俺のところへ持ってくる」
 自分だけならともかく、鮮やかな赤い花弁を持つ可憐な花まで邪険にすることもないのに。そんな思いを込めて大げさにため息をつくと、冷たい夜気を含み始めた初春の風が二人の間を音もなく流れていった。
 炎蛇の名にふさわしい赤みを帯びた髪がわずかに風に吹き流され、頬にかかる。
 それを首を振ることだけで元の位置に戻しながら、苛立たしげに石畳を靴底で叩く姿は、完全に自分を拒絶している。普段はどれだけ怒りに満ちた口調であっても目線だけは合わせてくれるというのに、今日は強い意志が込められた瞳がこちらを向いたのは最初だけ。赤い花を目にした瞬間、彼の顔が一気に怒りの色に塗り替えられ、それからは何を話しても棘のこもった言葉しか返ってこない。
 任務中の彼を陣中見舞いという名で訪ねたことは今まで何度もあったはずだが、ここまで強い拒否にあったのは初めてだった。
「花に罪はないだろう……それとも、何か別な理由でも?」
「仕事の邪魔をする自体が邪魔だろうがっ!」
「邪魔ではなく、視察のつもりだが」
「花を持ってのんきに歩いて来る視察があるか」
「のんきなつもりはなかったのだが……そう見えたのなら謝ろう。すまなかったな、ガダラル」
 表面上は穏やかな笑顔と物腰を維持しながら、すさまじい勢いで頭を回転させる。
 これからどういう手で彼をなだめようか、それ以前になぜここまで機嫌が悪くなったか。公私に渡ってつきあいが長いはずなのだが、未だに彼の機嫌を損ねる理由を全く推測することができない。
 ただわかっているのは、今日の彼は本気で怒っているということだけで。
 暖かすぎて装備の手入れに困るとよく傭兵たちに愚痴られるが、アトルガン生まれの者にとって今は十分寒い時期に当たる。
 そんな中で見つけた赤くて小さな花。
 熱を奪っていく寒風にさらされる大切な人。あらゆる仕事を部下に任せず自らの体をあらゆる苦難に晒し続ける存在の心に、赤い安らぎという名の火を灯してくれはしないだろうか。
 思いを込めた花は、自分の手の中でしおれようとしている。   
風も、彼の目線も冷たいのでそろそろ退散すべきか、彼の後頭部を見ながらそんなことを考えていると、いつもより強い口調でガダラルが口を開いた。
「さっさと帰って手を洗え」
「手は先ほど洗ったが」
「貴様はやはり大馬鹿者だな。その花は触るとかぶれる上に、傷口から汁が入ると膿む。そんなことも知らんのか、天蛇将は」
「花が……嫌いというわけではないのだな」
「このくそ寒い中、貴様の心配をする余裕はない……どうした、何を笑っている!」
 思わずこみ上げた笑い声を、彼が聞き逃すはずもなく、寒さのせいで赤みを失っている顔がこちらをようやく向いた。
 何をやってもすれ違うというか、互いの意図をくみきれないというか。互いのことを思い、心配しているはずなのに、わかりあえずに無駄なトラブルを引き起こす。それが楽しくて、ほんの些細なきっかけで彼の新しい一面を知ることができるのが嬉しくて。
 彼の側にいることを選んだ。
 向こうから言わせれば、勝手に人の側に来て色々引っかき回して去っていく騒がしい男らしいのだが、騒がしくて結構。
「ずいぶん寒そうな顔だな」
「黙れっ!」
「後で毛布と酒を届けよう。ああそれと……」
 手に持っていた赤い花を風に流す。
 乾いた景色の中、視界から急速に消えていく花を目で追い続けるガダラルの腕をつかんで引き寄せた。すると、先ほどとは違うどこか甘さを含んだ眼差しが、強くこちらを睨みつけてくる。
 色の悪い唇を一瞬だけ己の唇で暖め、耳元で小さく囁く。
「温かい腕なら今すぐ用意できるが?」
「腕じゃ俺しか暖まらないだろう、春をさっさと持ってこい」 
「君の望みはいつも大きすぎる」
 苦笑いしながらそう答えると、沈む日よりも鮮やかな微笑みが当たり前だと答えてくれた。
 まだ風は寒くとも、終わりのない戦いが続こうとも。

 花と出会ったのは偶然でも、春が来るのは必然。

 氷を思わせる苦難も、時間の経過がいつかは溶かしてくれる。愛しい人の心を手に取るように理解することも、いつかはできるようになるはずなのだから。
今はすべてが暖かさに包まれていく過程を楽しもう。自分の腕からさっさと逃れ、監視を再開した真面目すぎる後ろ姿を見ながら、そんなことを思った。

















 初書きなので、色々と書き直したかったり……
 


BGM「はるのあしおと」 by原田ひとみ